友人の影響で自身も医療の世界へ。臨床と研究双方の経験をより活かすためにクリニックを開院
はじめに、医師をめざしたきっかけをお聞かせください。
実は、身内に医師がいるわけでもなく、子どもの頃から医療系の仕事に憧れていたわけでもありません。そんな私が医師を目指した理由は、高校時代の友人の夢が医師だったからです(笑)。ラグビー部で一緒だった彼の夢を聞いているうちに、私も医師という職業を意識するようになり、そしていつしか、同じ目標に向かうようになったのです。
耳鼻咽喉科を専攻した理由は何ですか?
出身は千葉県ですが、大学は青森県の弘前大学へ進学しました。卒業後は、初期研修を青森県内の病院で受けた後、地元に戻って千葉大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科に入局します。
耳鼻咽喉科を専攻したのは、内科治療と外科治療のどちらも必要とされる診療科だからです。薬物療法だけでなく手術をする際も他の科に引き継ぐことがなく、小規模の手術ならひとりで施術できる場合もあります。初診から診断、検査、手術、手術後のフォローまですべてを担当し、一人の患者さんを最初から最後まで責任を持って診ることができる科であることが、自分のスタイルに合っているなと感じたのです。
先生は、「頭頚部がん」の診療や研究に携わってきたとお聞きしました。
はい。千葉大学医学部附属病院には重症患者さんも多く来院されており、中でも「頭頸部がん」の診療には数多く携わってきました。頭頸部がんとは、専門的用語では「頭蓋底部から下、鎖骨より上」、わかりやすく言うと「顔や首の辺り」のがんの総称で、具体的には咽頭がん、喉頭がん、舌がん、副鼻腔がん、甲状腺がんの他、希少ですが外耳道がんも含まれます。
その後、千葉労災病院と千葉医療センターに1年ずつ勤務します。ここでは一般耳鼻科の診察が中心でしたが、市中病院だったため重症者が多く、入院やがん治療が必要なケースもありました。
この後、一旦、臨床現場から離れて千葉大学医学部の大学院に進学、研究の道へ進みます。私は大学卒業以来、臨床経験しかなく研究の世界を知りませんでした。そのまま臨床現場で研鑽を積んでいきたい気持ちもありましたが、それ以上に、未知の世界だった研究分野への興味の方が強かったのです。
頭頸部がんの免疫治療の研究に2年、重粒子線治療という特殊な放射線治療の研究に2年打ち込み、「放射線性顎骨壊死のリスクファクター」に関する論文で学位を取得しました。
大学院卒業後は臨床に戻り、君津中央病院での勤務を経て、千葉県がんセンターで7年間、ここでも主に「頭頸部がん」の治療に携わり、手術、放射線治療、抗がん剤治療など、耳鼻咽喉科の範ちゅうのがん治療はすべて経験、研鑽を積んできました。
クリニック開院のきっかけがあればお聞かせください。
千葉県がんセンター時代には、このままがん治療を追究していく道も考えました。特定の疾患治療に打ち込むのも、医師としてのひとつのあり方ですから。ただ、「大学を卒業してからの14年間、自分が臨床と研究のフィールドで培ってきた知識や技術、経験を、これまでとはまったく違う環境で発揮すれば、医療への新たな貢献ができるかもしれない」と考えるようになったのです。そしてその答えが、自身のクリニック開業でした。
2022年1月、医療法人社団元志会とご縁があったこともあり、耳鼻咽喉科へのニーズが強い地域であるこの柏市に、分院として開院するに至ります。実は私自身、この地域のことは詳しく知らなかったのですが、その点も、新しい環境でスタートしたかった自分にはうってつけだと感じました。柏をよく知るスタッフに囲まれながら、ゆっくりとこの土地に馴染んでいき、地域医療に貢献していければと思っています。