幼少期からの持病のつらさをバネに、患者一人ひとりに親身に寄り添う医師に。難治性皮膚疾患を中心に、真摯に実直な皮膚科医療を実践
はじめに、三上先生が医師を志されたきっかけをお聞かせください。

私は幼い頃から病気がちで、学校生活では体の不調でつらい思いをしたり、思うように周囲に溶け込めなかったりすることがあって、「健康でいられることのありがたさ」を痛感していました。持病の子宮内膜症、卵巣嚢腫に加えて激しい片頭痛にも悩まされ、自分ひとりの力ではどうにもならないことを何度も経験してきました。
医療のお世話になることも多く、次第に「病気を診るだけでなく、患者の心にも寄り添える医師がいてくれたら」と感じるようになっていました。そして、ふと気づいたんです。私の理想に最も近い医師は、身近にいる父ではないかと。
「私も父のような医師になりたい」と思い、医学の道を志すことを決めましたが、最初のうち、父は心配のあまり反対していました。小学生の頃から聖心女子学院に通っていたこともあり、父の中では結婚し家庭におさまらせたいという思いが強かったのだと思います。それでも、病気をしながらも頑張る私を支えてくれた多くの方々への感謝と、「今度は私が誰かの力になりたい」という想いが、次第に確かな医師を目指す決意へと変わっていったんです。学校の先生方にも励ましていただきました。父は心配そうにしていましたが、でも本当は、だれより私が医学の道へ進むことを喜んでくれていたようでした。
東京女子医科大学をご卒業後、同大学の糖尿病センター内科に入局され、その後、横浜市立大学医学部皮膚科に入局されています。どのような経緯があったのでしょうか?
父が皮膚科専門医として長年にわたり診療を続けていたこともあり、私はあえて違う分野に進みたいという思いがありました。もともと脂質異常症や代謝異常といった領域に興味を持っていたため、卒業後は東京女子医科大学の糖尿病センター内科に入局し、糖尿病をはじめとする内科全般の診療に携わっていました。
当時は一人暮らしをしながら、自立した環境で必死に臨床研修を行っていましたが、その矢先に持病が再発してしまい、心身ともに大きく追い込まれてしまったんです。医師としてのキャリアを続けることすら難しい状況となり、やむを得ず実家に戻ることになりました。そんなとき、そっと手を差し伸べてくれたのが父でした。「無理のない範囲でいい。少しずつでも続けていくことに意味がある。だから、思いを捨てずにがんばりなさい」と励ましてくれて。父の言葉に背中を押されるように、横浜市立大学医学部皮膚科にご縁をいただき、あらためて医師としての道を歩み始めました。結果的に父と同じ皮膚科を専門とすることになりましたが、糖尿病や脂質異常症は尋常性乾癬などの皮膚疾患にも深く関係しています。糖尿病センターでの経験は、今の診療にも確実に活かされていて、あの時期に内科的な視点から医療を学べたことは、私にとって大きな財産になっています。
貴院に入職されるまでのご経歴と、入職のきっかけについてお聞かせください。
横浜市立大学医学部皮膚科に入局後は、大学病院のほか、横浜市立市民病院や国立相模原病院などの基幹病院に勤務し、アトピー性皮膚炎や尋常性乾癬、皮膚感染症など、多様な皮膚疾患の診療に携わってきました。外来・入院を問わず幅広い症例を経験させていただいたことで、皮膚科医としての土台をしっかり築くことができたと感じています。
当院は、2006年に父が開業したクリニックです。ところがその直後、父が病気を患い、私は大学に籍を置きながら非常勤医として診療を手伝うことになりました。最初はあくまで「一時的なサポート」のつもりでしたが、次第に父の代わりを本格的に務める必要が出てきて、やがて大学を離れ、開業医としての道を歩むことになりました。
当時はまだ32歳であり、離婚を経験し1歳にならない息子を抱えたシングルマザーとしての道を歩き始めたばかりのタイミングでした。経験も浅く、「この若さで本当に務まるのか」と不安を抱える毎日でした。正直、心が折れそうになったこともあります。そんなとき、ビルのオーナーから「お父さまが小さな子供を抱えたあなたが働ける場所を作ってやりたいとクリニックをこのビルに立ち上げられたのですよ」と教えていただきました。そのひと言に、父の想いと自分が引き継ぐべき使命のようなものを感じました。覚悟を決めるには、十分すぎるきっかけでした。
その後、大病を克服し、現場に戻ってくれた父から指導を受けながら診療を続けさせていただきました。多くの患者さんに支えられ、温かいスタッフに囲まれ、大変恵まれた環境で2021年に院長としてクリニックを引き継ぐことができました。現在は非常勤の先生方にもご協力いただきながら、難治性の皮膚疾患をはじめ、皮膚科全般にわたる診療を誠実に行っています。
