100年以上続く医院の4代目を姉妹で継承。それぞれの専門を活かし、眼科と耳鼻咽喉科で連携しながら地域の医療ニーズに幅広く対応
はじめに、おふたりが医師を志したきっかけをお聞かせください。

【貴久子院長】当院は、大正時代の1914年に曽祖父が「若山眼科医院」を開業して以来、祖父、父、そして私たちと、100年以上にわたり浦和で診療を続けてまいりました。育った環境ももちろん大きいですが、私は体が弱く、小児科や耳鼻咽喉科に通院することが多い子どもだったんです。自分自身が医療のお世話になることが多かったことが、医師を目指したきっかけになっています。
【久仁子副院長】私は、自然と医師を志すようになっていました。医院と自宅が併設されていましたので医療が身近にあり、忙しくも患者さんのために働く祖父や父の姿を見ているうちに医師を目指す気持ちが固まりました。
貴院を継承されるまでのご経歴と、主に診てこられた疾患について教えてください。

【久仁子副院長】帝京大学医学部卒業後、日本医科大学附属病院で研修を受け、同大学の眼科学教室に入局しました。眼疾患全般を診ていましたが、なかでも「ぶどう膜炎」と呼ばれる眼の中に炎症を起こす病気の治療に多く携わりました。ぶどう膜炎は、サルコイドーシス、原田病、ベーチェット病といった自己免疫性疾患が原因となる場合が多いため、リウマチ科など他科と連携しながら診療にあたり研鑽を積みました。
また、私が勤務していた附属病院の眼科では、若手の頃から外来を担当することが多く、初診の診察から診断、手術治療、術後のフォローまで、一人の患者さんに一貫して関わることができました。重症患者だけでなく、一般的な眼の不調から専門治療が必要な特殊な病気まで、幅広く診療経験を積むことができたと感じています。
貴久子先生は、眼科ではなく耳鼻咽喉科に進まれたのですね。
【貴久子院長】最初は眼科医になるつもりでしたが、医学部生のときに実習を受けて耳鼻咽喉科を専門にしようと決めました。耳鼻咽喉科は、耳・鼻・のどと診療範囲が広く、内科的治療と外科的治療の両方から病気にアプローチします。多岐にわたる疾患と、診断から治療まで医師が一貫して担当できる点に魅力を感じました。
帝京大学医学部を卒業後は、研修を経て同大学の耳鼻咽喉学教室に入局。大学病院や関連の総合病院で勤務しながら、中耳炎や難聴、アレルギー性鼻炎、扁桃炎、副鼻腔炎など耳・鼻・のどの病気全般を診療してきました。勤務医時代は外来、病棟、手術など、耳鼻咽喉科専門医として幅広く臨床経験を積んできました。
おふたりとも2013年に貴院に入職されましたが、何かきっかけがあったのでしょうか?
【久仁子副院長】私は大学病院に勤務しながら、週一回程度、非常勤で父を手伝っていたんです。2012年に出産したのをきっかけに、私が週4日、父が週2日と分担するかたちで診療するようになり、そのあとに貴久子院長が加わりました。診療科は違いますが、ふたりとも生まれ育った浦和の町に愛着があり、いずれはここで地域医療に貢献したいという気持ちは同じでしたので、一緒に診療を続けていくことを決めました。
【貴久子院長】父の体調があまり良くなかったのもありますが、専門医を取得して少し経った時期で、さまざまなタイミングが重なったという感じです。私が入職して耳鼻咽喉科を新設し、「若山医院 眼科耳鼻咽喉科」に改称しました。父が亡くなった後に私が院長、姉が副院長に就任して現在に至ります。

