家族への想いから小児科の道に。基幹病院で診療経験を積んだベテラン小児科医が、地域の子どもの健康をサポート
はじめに、諸見里先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

10歳のときに母を病気で亡くしたことが医師を志した原点です。とても悲しい出来事でしたが、「将来は医師になって、病気で苦しむ人を救いたい」という気持ちが自然と芽生え、岡山大学医学部に進みました。子どもの頃に抱いた思いは、今も変わらず私の中にあります。
卒業後は姫路第一病院の外科に入局し、虫垂炎や胆石、胃がんといった消化器疾患を中心に、ケガや骨折などの外傷対応、腰痛や膝痛の運動器疾患まで、外科全般の診療を幅広く経験しました。
外科全般を担当していた当時、出身の沖縄県内の僻地(離島等)では医者不足により、診療所の運営自体が危機的状況でした。この状況を受け、沖縄県から伊良部村立診療所への勤務を要請されました。ここでの勤務では全科の診療及び、予防接種から健診など医療全般にわたり、老若男女、昼夜区別なく診療に従事しました。2年間さまざまな経験を積んだ後、那覇救急診療所に転籍となりました。
その後、麻酔科医へ転身されたそうですね。
麻酔科へ転身のきっかけは、当時那覇市で市立病院設立の計画があり麻酔科医が必要とされたことにあります。麻酔科医の勉強のため岡山大学病院麻酔科に転籍、その後、愛媛大学医学部附属病院で麻酔科医としての研鑽を重ねながら、幅広い症例の臨床経験を積むことができました。貴重な経験をさせていただいた勤務を経た後、那覇市立病院の開院と同時に麻酔科医としての勤務に就くことになりました。
麻酔科医から、さらに小児科医へと転向されたのは、どのような経緯だったのでしょうか?
長男が重い小児喘息を患っていたことが転機になりました。発作が頻繁に起きて入退院を繰り返す日々が続き、なかなか症状が改善しなかったんです。親として、医師として、「何とかしてやりたい」という思いが募り、当時、小児喘息の研究で知られていた国立小児病院の飯倉洋治先生を頼りました。すると、先生が「すぐに連れてきなさい」と言ってくださり、東京に移って治療を受けながら、同時に私は国立小児病院で気管支喘息やアレルギー性疾患などの研修を受けさせていただきました。
治療の甲斐あって長男の病状は大きく改善し、那覇市立病院に戻った際、「そのまま小児科の診療を続けてほしい」と言われて小児科医の道を本格的に歩むことになりました。川越に来るまでの10年間、小児科医長、救急診療所所長(小児科)、救急部長を務めながら、あらゆる小児科疾患と小児救急の診療に携わり、研鑽を積んできました。
基幹病院で要職を務められた先生が、川越の地でクリニックを開業された理由を教えてください。
これも家族の事情からで、子どもが川越にいましたので妻と話し合って2003年に沖縄から移ってきました。そのときには自身のクリニックを開業しようと決めており、2年間の準備期間を経て、2005年に「もろ小児科医院」を開院しました。
開業して20年経ちますが、この辺りも開発されてファミリー層が多く住む地域になりました。地域のかかりつけ医として幅広い症状・疾患に対応しながら、緊急性の高いものは速やかに高度医療機関を紹介し、子どもの健康と安全を第一に診療しています。

