敬愛する祖父の死をきっかけに消化器内視鏡診療のエキスパートに。専門性を土台に三代目理事長・院長として、医療・介護・福祉を担う地域密着型の多機能病院を運営
はじめに、中野先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

一番のきっかけは、家族の影響です。実家は両親がコンビニエンスストアを営んでおり、昼夜を問わず働きながら家族を支えてくれました。お客さん一人ひとりに誠実に向き合う両親の姿を見て育つうちに、「自分も誰かの役に立つ仕事がしたい」という思いが自然と芽生えたのだと思います。また、兄が二人とも医学部に進学しており、医師という仕事のやりがいや責任について話を聞くうちに、その世界に惹かれていきました。次第に「自分も人の健康を支える立場で貢献したい」と思うようになり、医師を志す決意を固めました。
消化器内科に入局されていますが、この分野を専門に選ばれたのには、どのような理由があったのでしょうか?
小さい頃から、忙しい両親に代わって私の面倒を見てくれていた祖父が、私が大学5年生のときに胃がんと診断されました。診断された時点ですでに末期の状態で、その後は自宅で終末期医療を受けながら、静かに旅立っていきました。穏やかな最期を迎えられたことには安堵したものの、私にとって祖父は、どんなときも無条件で私を肯定してくれる大切な存在でした。それだけに、「もっと早く気づいてあげられたのではないか」という悔しさと無力感が込み上げてきたのを今でも覚えています。
それまでは医学部に進んだものの、明確な進路を描けずにいましたが、祖父の死をきっかけに気持ちが一変しました。祖父の命を奪った胃がんをはじめとする消化器の病気を治したい、がんを少しでも減らしたいという強い思いから、消化器内科の道を志しました。
貴院の院長に就かれるまでのご経歴や、これまで携わってこられた診療内容を教えてください。
獨協医科大学医学部を卒業後、同大学病院の消化器内科に入局しました。がんに対する臨床的なアプローチにはいくつかの方法がありますが、私は早期発見・早期治療、さらには予防にもつながる内視鏡診療を自分のライフワークにしようと決意しました。
これまで勤務してきた大学病院や地域の基幹病院では、胃がん・大腸がんを中心に、内視鏡検査・治療をはじめとする消化器疾患全般の診療に幅広く携わってきました。なかでも、早期胃がんや早期大腸がんに対するESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)には特に注力し、専門グループのチームリーダーとして多くの症例を経験しながら研鑽を積んでまいりました。
週刊朝日ムックの『手術数でわかるいい病院』に中野先生のお名前が掲載されたこともあるそうですね。
はい。胃がんと大腸がんの内視鏡治療に関しては、これまで数多くの症例を担当してまいりましたので、その実績をご評価いただいたのだと思います。在籍中は大学院にも進学し、非アルコール性脂肪肝炎(NASH)に関する研究に取り組みました。学位取得後は、医長として医局の運営に携わる一方で、講師として後進の育成にも力を注いできました。加えて、大学および関連病院において、消化器内科全般の診療に幅広く従事し、臨床・研究・教育のすべての面で研鑽を積んできました。
要職も担っていた中野先生が、開業医に転身されたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
専門性が高まるほどに、患者さんの“全身を診る”ことが難しくなっていくというジレンマを感じるようになりました。大学病院では、急性期の治療が終わると患者さんは地域の医療機関へと戻られます。そのため、一人ひとりとじっくり向き合う時間を持つことが難しいのが現実です。
特に高齢の患者さんの場合、複数の疾患を併せ持っていることが多く、たとえ胃がんや大腸がんの治療が成功しても、退院後の生活や予後が必ずしも良好とは限りません。そうした現実を何度も目の当たりにするうちに、疾患だけでなく、患者さんの価値観や心理面、社会的背景も含めて“全人的に診療したい”という思いが強くなっていきました。
ちょうどその頃、地域に根差し、医療と介護・福祉を多機能的に提供していた当院の前理事長・院長であり、私の義父からお声がけをいただきました。地域医療に貢献できるこの環境でなら、自分の理想とする医療が実現できると感じ、2018年に入職しました。

