昼夜問わず患者さんと向き合う父の背中を追って、自然と医師を志す
はじめに、竹村先生が医師を目指したきっかけを教えてください。
現在の宍粟市のあたりで父が開業医をしていました。兵庫と岡山の県境に近いエリアで、交通の便も今ほどよいわけではなく、当時はかなりの田舎町でした。そんな田舎で、自宅の一部が診療所という造りでしたので、急患があると夜中でもお構いなし、ドンドンと戸を叩く音で目を覚ますような生活でしたね。でも、少年時代はそれが普通のことだと思っていました(笑)
しかも、父の診療科は一般内科であったにも関わらず、子どものケガから重篤な病気まで、近所の患者さんのお困りごとならどんなことでも真摯に対応する、そんな医者でした。患者さんからの信頼も厚かったですね。
そんなお父様の背中を追って、医師を目指されたのですね。
はい。でも、実はもともと私の実家は、神社の宮司をしていた家系なんです。神社は叔父が継ぎましたが、もし父が神社を継いでいたら私も宮司になっていたかもしれませんね。もちろん、父の背中を見て医師になると決めてからは、全く他の職業に心揺らぐことはありませんでした。
大学はどちらに進まれたのですか?
兵庫医科大学です。いずれは父のように開業したい気持ちがありましたので、学生時代は特定の診療科を目指すというより、内科も外科もできるだけ幅広く学ぶことを心がけました。そして最終的には放射線科を専攻しました。
放射線科にもさまざまな分野がありますが、私が専攻したのは治療にも力を入れる分野の放射線科でした。読影による診断技術だけでなく、治療技術も積極的に学ぶのが特徴です。
大学卒業後は、神戸大学医学部附属病院の放射線科に入局し、そこでそのまま約10年間臨床医を務めました。このころ手がけた診療の一例としては、インターベンショナルラジオロジー(IVR)という手法がありましたね。画像診断装置で体の中を透かして見ながら、カテーテルや針などの細い医療器具で、肝臓がんなどの治療を行う技術です。
その後、甲南病院(現在の甲南医療センター)の放射線科で医長を務め、C型肝炎(C型肝炎ウイルスの感染によって起こる肝臓の病気)など、肝臓の疾患を中心に診ていました。
独立して今のクリニックを開院する決心をされたのはその頃ですか?
そうです。当院の入居しているビルは、神戸市と個人による区分所有という仕組みになっていて、私はこの区画を将来的な独立を見据えた資産として購入していました。当時は日本赤十字社に賃貸していましたが、日赤さんが移転することになり、そのタイミングでの開院です。
年齢的にも、気力体力が充実しているうちのほうがよいだろうと考えてのことで、30代半ばでの決心でした。