女性医師が活躍できる産婦人科を専攻し、大学病院や不妊治療専門病院で幅広く経験を積んだ後、開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
母の影響が大きくて、子どもの頃から「先生と呼ばれる職業に就いてほしい」「学校の先生か、病院の先生か、弁護士の先生かな」と言われていたんです。その中で、職業として一番イメージできたのが医師でした。私自身も病院で優しく対応してくれる医師を見るうちに、「自分もこんな先生になりたいな」と憧れを抱くようになっていましたね。母の刷り込みもあったと思いますが(笑)、自分の中でも医師になる気持ちが自然と固まっていましたので、そのまま進んできたという感じです。
産婦人科を専攻された理由をお聞かせください。
患者さんが女性医師を求めて受診されることが多く、女性が活躍できる診療科だと感じたのが一番の理由です。また、現在は内視鏡手術が増えていますが、当時はまだ開腹手術が多く、帝王切開のようなダイナミックな手術に携わることができるところにも魅力を感じました。
開院されるまでのご経歴をお聞かせください。
愛媛大学医学部に入学し、卒業後はそのまま附属病院の産婦人科に入局しました。同大学病院や倉敷中央病院の産婦人科では、妊娠、分娩、婦人科系疾患の診察、手術など、さまざまな分野の基礎を学び、オールラウンドな診療ができるよう研鑽を重ねました。
10年ほど勤務した後、次のステップとして、不妊治療専門クリニックとして名高い英(はなぶさ)ウィメンズクリニックに入職しました。同院は、体外受精などの高度生殖補助医療(ART)をはじめ、不妊治療の各専門分野に特化した医師が多数在籍されており、不妊治療に関わるさまざまな知識と技術を習得できました。並行して、妊婦さんが多く通われるパルモア病院に勤め、診療経験をふやしてゆきました。ホルモンが原因となるさまざまな不調や婦人科疾患から、不妊治療、妊娠、出産まで、女性の人生をトータルサポートできる専門知識や技術を磨くことができ、勤務医時代の経験は現在の診療の礎になっています。
医師になった当初から、いずれは自分のクリニックを開業しようと考えていらっしゃったのでしょうか?
いいえ、まったく考えていませんでした。たまたま「いい物件があるけどどう?」というお話をいただき、そのとき初めて、年齢的にもいいタイミングかもしれないと開業を考えるようになったんです。当時は、毎日たくさんの患者さんを診療していましたので、「もっと一人ひとりの患者さんに向き合って、深く繋がるような診療をしていきたい」という思いも募り、2009年、六甲道に「雅レディースクリニック」を開業しました。
2021年に三宮に移転され、名称を「みやびレディースクリニック」にされています。
六甲道に開業したのはビルの中の小さなクリニックで、医師は私1人で診療範囲もそう広くはありませんでした。ですが、自分が一番やりたかったのはひとりの女性に寄り添う診療でしたから、一般婦人科を軸として自分のやれる範囲で最前線の治療を提供できれば十分だと考えていました。
そうして地域に根ざした診療を重ねていたのですが、通っていただいている患者さんから子宮がん検診後の精査や、乳がん検診などの相談を受けることも増えてきていました。「悩んでいるたくさんの患者さんのために、もっと踏み込んだ診療がしたい。そのためには広くて受診しやすい場所に移った方がいいのではないか」と考え、思い切ってクリニックの移転を決めたんです。
交通アクセスが良く患者さんが通いやすい三宮に移り、施設は以前の3倍ほどの広さになりました。女性医師も増やし医療体制も拡充しています。医師を含め、スタッフ全員が女性であることも患者さんにとっては安心して受診できるポイントではないでしょうか。物理的にも心理的にも患者さんが受診しやすい環境を実現できたと思います。