父の影響を受け医師の道へ。大学病院などで豊富な臨床経験を経て、性差医療の発展を志し開業
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
私の父が開業医でして、その背中を見て育つうちに、自然と医師の道へ進むことを考えるようになりました。東京医科大学医学部に進学し、卒業後は大学病院の第四内科(消化器内科)に入局したのですが、それも父が胃腸内科の医師であったことが影響していると思います。当院の名称も、香川県高松市で開業していた父の医院の名前を冠しました。
入局後は大学病院に勤務されたほか、長岡市の立川綜合病院で勤務医として勤められました。その間に診てこられた主な疾患などを教えていただけますか?
大学病院では消化器病専門医として、胃・食道・十二指腸・小腸・大腸・肝臓・膵臓など消化器全般に関する疾患を主な対象とし、胃炎や腸炎、肝炎、胃や大腸のポリープ、腸閉塞といった疾患から、胃がん、食道がん、小腸・大腸がん、肝がんなどに至るまで、消化器疾患全般の診療にあたり、研鑽を積みました。内視鏡検査をはじめとする各種検査についても技量を磨き、在籍中には早期胃がんの内視鏡的治療で医学博士号を取得しました。
立川綜合病院でも同様に消化器疾患の治療に携わったほか、内科全般の診療にも従事しました。大学病院はどちらかというと研究機関という性質が強いですが、立川綜合病院は長岡市の中核病院のひとつとして地域の2次医療を担う実臨床の現場で、一層多岐にわたる臨床経験を積むことができたと自負しております。
そして2004年に七條胃腸科内科医院を開業されました。どのような想いから開業を決心されたのでしょうか?
立川綜合病院では日々の診療にやりがいを感じていましたし、手前味噌ですが内科部長、消化器内科部長、副医局長、法人理事といった役職も経験することができ、引き続きここで地域医療のお役に立てればという気持ちもありました。一方で、20年近く医師として仕事をするなかで、私自身が目指したい医療の方向性、「こういう医療を提供したい」という想いが芽生えつつありました。ですが、大きい病院には大きい病院としての役割があり、私自身の想いとは違う方向に進まなければならないような場面も少なからず生じていました。
その狭間で悩んだ末、やはりこれからは自分の思う道を進みたい、長年根を下ろしてきた長岡という地で、これまでご縁をいただいてきた患者さんや地域の方々に対し、自分の目指す医療を提供することで地域医療に貢献したいと思うに至り、開業を決めました。
先生が目指そうとお考えになった医療とは、どのようなものだったのでしょうか。
人間には性差があり、性別によって臓器の機能に違いがあるほか、同じ病気でも性別によって発症率が異なることもあります。ですので、患者さんの健康をきちんと支えようとするならば、患者さんの性別を考慮して診療にあたり、適切な治療を検討する必要があります。これを「性差医療」といいます。しかし実際の医療現場では、男性を対象とした医学研究の知見がそのまま女性にも適用されるなど、性差が十分に考慮されない状態で診断や治療が行われていることが多く、婦人科や産婦人科は別として、女性の性質を考慮した性差医療が広く行われているとはいいがたいのが実状です。
例えば、一般的な健康診断において、受診した方の測定値を「正常」と判断すべきかどうかは患者さんの性別や年代によって異なり、その違いを踏まえた判定が必要となります。しかし実際には、判定の基準値は男性の研究結果を前提としたものになっており、性差を考慮した判定はなかなかなされていません。その結果、病気の早期発見や適切な治療を妨げることもあり得てしまいます。
私は、そうした医療のあり方に強い問題意識を感じました。そして、患者さんの健康を根本から支えるために性差医療を発展させ、このあり方を変えたいと考えたのです。