医師人生の転機となった不妊治療との出会い。生殖医療専門医として不妊に悩む患者を救いたいと開業
はじめに、医師をめざしたきっかけをお聞かせください。
幼い頃から、自営業を営む両親が一生懸命働いている姿を見ていたので、漠然と「何か生涯をかけて打ち込める仕事がしたい」と思っていました。それが具体的になったのは高校生の頃、先生に薦められ、がんの治療法を開発した若手医師の物語を読んだのがきっかけです。患者を救うため24時間365日研究に没頭するその医師の情熱に心を打たれ、「自分もがんで苦しむ人を救いたい」と医師を志し、群馬大学医学部に進みました。
どのような経緯で不妊治療に携わるようになられたのでしょうか?
がん治療といえば手術、という時代でしたから、最初は外科医を志望していました。ですが、当時の婦人科系のがん治療は一歩進んでいて、すでに化学療法や放射線治療などさまざまなアプローチがなされていることを知り、大きな可能性を感じました。そこで、群馬大学医学部を卒業後、新潟大学の産婦人科に入局し、子宮がん、卵巣がんなどの治療に携わり研鑽を重ねてきました。また、大学院に進み、がんの研究で学位も取得しています。
念願だったがん治療に従事することができたのですが……、次第に「自分の選択した治療で患者さんの人生を左右してしまっていいのか。自分にがん治療は向いていないんじゃないか」と思い悩むようになったんです。歳を重ね、もっと経験を積んでいれば自分の診断や選択に自信が持てたのかもしれませんが、当時まだ30代前半で若かったこともあると思います。
そんなとき、当時の教授より、日本で最初に体外受精を成功させた東北大学の鈴木教授が開院したスズキ記念病院を紹介していただきました。そこではじめて不妊治療に出会い、「自分の道はこれだ!」と確信したのです。それまではがんの治療や研究ばかりに携わっていたものですから、細胞から命を生み出す不妊治療の分野が新鮮で「こんなこともできるのか」と、勉強をすればするほどワクワクしました。スズキ記念病院では外来で一人ひとりの患者さんとじっくり時間をかけて対話ができましたので、医師の考えと患者の希望の両方を合わせた治療ができる点も魅力に感じましたね。
妊娠・出産を願う患者さんの夢をかなえるための不妊治療に携わり、「不妊で悩む人を救う」という新たな目標に出会えたことは医師人生の転機となりました。その後、新潟大学やいくつかの総合病院で、不妊治療をはじめ通常の妊婦検診など幅広く対応していましたが、もっと深く不妊治療を追求したいと考えるようになり、2013年に不妊治療を専門にするクリニックとして当院を開業するに至りました。