家族の病をきっかけに医師を志す。大学病院で研鑽を積んだ後、地域医療に貢献すべく医院を継承
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

当院は、私の母が昭和59年に栃木市に開業しました。父も医師で医学研究者だったため、幼い頃から医療を身近に感じて育ちましたが、祖父と祖母が相次いで病に倒れたのがきっかけの一つです。祖母は心筋梗塞で急逝し、優しかった祖父も病気で人が変わったように見え、幼心に大きな衝撃を受けました。そのときに「祖父母が患った病気を治せるような医師になりたい」と強く思ったのを今でも覚えています。
やはり貴院の継承を見据えて眼科を専攻されたのでしょうか?
医院の継承についてはあまり意識していませんでしたね。当時は、脳外科や救命救急医療のようなダイナミックさを感じられる分野に興味を持っていました。ただ、今後はどの分野においても顕微鏡を使った手術が主流になると思いましたので、顕微鏡手術の技術を磨くことを考えて眼科を専攻しました。
今振り返ってみると、やはり親の影響もあったのかもしれません。正直に言うと別の診療科に憧れましたが(笑)、眼科ならではの楽しさややりがいに気づき、現在は眼科医になって本当に良かったと思っています。
これまでのご経歴を教えてください。
東海大学医学部を卒業後、日本大学医学部附属板橋病院、自治医科大学病院の眼科に入局し、多岐にわたる眼疾患の診療に携わりました。当時の大学病院は、現在のような紹介状制度がなかったため、さまざまな疾患の患者さんを受け入れていました。なかでも、私が専門としていたのが網膜硝子体疾患で、網膜剥離、加齢黄斑変性、糖尿病網膜症などの手術を数多く経験し、治療技術を習得しました。
専門分野をはじめ、眼疾患は何でも診るという日々でしたので、軽症から重症まであらゆる症状に対応できる診療スキルを培うことができたと感じています。また、自治医科大学病院大学院にも進み、網膜細胞における酸素欠乏時の物質分泌に関する遺伝子研究で医学博士を取得しました。
その後、国立栃木病院(現・国立病院機構栃木医療センター)が新たに眼科を開設するときに医局から派遣され、立ち上げから軌道に乗せるまで医長として携わり、研鑽を積みました。
そして、2009年に青木眼科医院に入職されました。
母も元気でまだまだ働けましたが、代替わりの前に仕事を引き継ぐ期間が必要と考え、1年ほど副院長として母と一緒に働きました。そして、2010年に院長に就任し、2020年に現在の場所へ移転しました。当院は開業以来、地域の方々の眼をお守りするためにきめ細かな診療を行ってきましたので、今後も変わらず尽力したいと思っています。

