恩師の言葉をきっかけに医師の道へ。脳神経内科医として研鑽を積み、へき地医療にも貢献
はじめに、先生が医師を志したきっかけを教えてください。

子どもの頃に肺炎で入院したことがあったのですが、私を担当してくれた医師がとても親切で、憧れを抱くようになりました。でも、大きなきっかけになったのは、小学校6年生のときに3者面談で、担任の先生から「この子は医者を目指すべきだ」と言われたことですね。突然のことで私も母も驚きましたが、その頃から「家庭の医学」のような本を読んだりしていましたので、先生は私の興味や適性を見抜いていたのかもしれません。現在、医師になって充実した毎日を送れているのも、このときの先生の言葉があったからだと感謝しています。
その後、大学受験に向けて通っていた塾の講師が現役の医学部生で、いろいろな話を聞くようになりました。「医学部の授業がしんどい」「試験が難しい」など泥臭い話が大半でしたが(笑)、それでも生き生きとしていて、社会への貢献や人の役に立つプライドのようなものも感じられ、充実した雰囲気があったんです。そんな彼の頼もしい姿もきっかけの一つとなり、大阪公立大学医学部に進学しました。
卒業後は附属病院の脳神経内科に入局されています。脳神経内科を専門とされたのは、どのような理由からですか?
大学の恩師の言葉を借りるなら、「脳神経内科こそ内科の中の内科である」からでしょうか。私にとって脳神経内科の魅力は、いろいろな側面から患者さんの助けになれる点だと思っています。
そもそも神経は、体中に張り巡らされていますので、脳神経を診ることは脳そのものだけではなく、全身にさまざまな症状を引き起こす病気を診ることにもつながります。脳梗塞やアルツハイマー病、頭痛といった脳疾患をはじめ、多発性硬化症、末梢神経障害などの神経疾患、パーキンソン病、ALS筋萎縮性側索硬化症などの体が動きにくくなる病気まで、その範囲は多岐にわたります。脳神経内科は狭い専門範囲を扱っているようで、実際には非常に幅広く、多くの患者さんの役に立つことができると思い専攻しました。
新潟に長くいらっしゃるようですが、開業までのご経歴をお聞かせください。
大阪公立大学医学部附属病院脳神経内科に入局後は、2つの基幹病院に勤務し、診療の基礎を学びました。その一方で、「脳神経内科の領域を、もっと深く学びたい」という気持ちが日に日に高まり、ご縁があって国立病院機構新潟病院に移りました。新潟病院は、脳神経内科の分野では日本有数の診療実績があり、全国から優秀な医師や研究者が集まっている拠点です。臨床現場ではさまざまな脳神経疾患や神経筋疾患の患者さんをはじめ、原因不明で治療が難しい症例の患者さん、緊急の処置が必要な患者さんなどを受け入れ、私も脳卒中やパーキンソン病、アルツハイマー病、頭痛などの診療に幅広く携わり、研鑽を重ねました。
また、へき地医療にも興味があったため、2014年から柏崎市の山間部にある北条診療所で所長を務めました。ここでは常勤の医師は私一人でしたので、あらゆる病気や不調を訴える患者さんを診療し、経験を積むことができました。プライマリ・ケア(身近にあり、何でも相談にのってくれる総合的な医療)認定医・指導医の資格を取り、地域の方々に寄り添った医療を提供しながら勉強させていただいた10年間は、大きな財産になっていますね。そうして柏崎市にきて約20年になりますので、今では故郷と同じくらい愛着がありますし、医師として育てていただいた場所だと思っています。
