糖尿病・腎臓病・人工透析・漢方のスペシャリストと、美容医療に精通した皮膚科のエキスパートが、夫婦二人三脚で「健康と美容のクリニック」を開業
はじめに、開業までのご経歴や、携わってこられた症例についてお聞かせください。

【多田院長】子どもの頃から医療に興味があり、特に漢方薬に強い関心を持っていたことから、まずは東京理科大学薬学部に進学したんです。卒業後は東京大学大学院薬学系研究科に進み、糖尿病に関する研究で修士課程を修了。その後、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)の臨床開発部門に入社し、臓器移植に不可欠な免疫抑制剤や糖尿病治療薬の開発に携わりました。
しかし、研究を通じて医療の発展に貢献することにやりがいを感じる一方で、「より直接的に患者さんと向き合いたい」という思いが次第に強くなり、医師を志すことを決意。担当業務が一区切りしたタイミングで岡山大学医学部に進み、卒業後は、岡山済生会総合病院や福山城西病院など、基幹病院や地域の中核病院で専門医として糖尿病、腎臓病、人工透析の診療に従事してきました。
勤務医時代は、糖尿病や腎臓病や血液透析の患者さんを中心とした診療が多かったですね。糖尿病やその合併症に対する薬物療法や生活指導に携わる一方で、人工透析については研修医の頃から本格的に取り組んでいました。
多田院長は、世界的にも有名な免疫抑制剤「タクロリムス徐放性製剤」や糖尿病治療薬「スーグラ」の開発者のお一人だそうですね。
【多田院長】会社に入ったときは、まず、携わらせていただいたプロジェクトは、あの臓器移植で世界でも有名な免疫抑制剤であるタクロリムス(FK506)の徐放性製剤(グラセプター®)の最終臨床試験であった。会社の看板である、そして、日本を代表するような薬剤の最終臨床試験で、緊張ありながらも、勉強と挑戦の日々でした。その後、世界初の新規糖尿病治療薬であるSGLT-2阻害剤「スーグラ®」の第Ⅰ相臨床試験ではチームリーダーを任され、毎日深夜まで残業し、寝食を忘れて没頭した2年間だったことを懐かしく思います。
「スーグラ®」が販売になったのは、実は後に私が医師になって3年目のことでした。まさか承認発売したのは、当時自ら開発した薬だなんて、ほとんど記憶から忘れていた時でしたので、びっくりしたと同時に、昔のことを瞬間的に思い出して、感無量でした。糖尿病とまさしく運命的なものを感じて、その後もさらに精進しようと強く決意したのです。
つぎに、明子先生のご経歴をお聞かせください。

【明子副院長】私は高校生の頃、テレビドラマ「ナースのお仕事」に影響を受け、看護師を目指そうかと考えたこともありました。ただ、もともと勉強全般が好きで、理数系の科目が得意でしたので、最終的な進路を決める際に教師から「医師を目指してみたら?」と背中を押され、医学部への進学を決意しました。
島根大学医学部を卒業後、岡山済生会総合病院で初期研修を受け、川崎医科大学附属病院の皮膚科に入局。皮膚科は、病変を直接目で見て、直に触って診断します。治療効果が目に見えることも多く、その点に大きなやりがいと魅力を感じました。川崎医科大学附属病院では、アトピー性皮膚炎や乾癬など、幅広い皮膚疾患の診療に携わった後、医局に在籍したまま、興味のあった美容分野に取り組もうと品川美容外科に入職しました。
品川美容外科では、まぶたの二重(ふたえ)手術やたるみに対する糸リフトなどの美容外科、ヒアルロン酸注入などの美容皮膚科の施術について幅広く研鑽を積み、その後、系列の品川スキンクリニック岡山院の院長を経て、2023年6月、当院の院長である夫とともに開業するに至ります。
専門分野で腕を振るってきたお二人が開業を決めたのには、どのような想いがあったのでしょうか?
【多田院長】妻の明子副院長とは、いつか自分たちのクリニックを開業しようと決めていました。そして、地域に不足している医療を補い、より多くの方の健康と美しさを支えたいという想いから、「健康と美容のクリニック」を開院しました。
私は、内科全般に加え、糖尿病・腎臓病・人工透析・漢方の専門診療を通じて、患者さん一人ひとりの健康を総合的にサポートしています。一方、明子副院長は美容皮膚科・美容外科を担当し、美しさの面から患者さんのお悩みに寄り添います。私たちは、医療と美容の両面から、地域の皆さんの「健やかに、美しく生きる」を支えるクリニックでありたいと考えています。
