“何でも診られる医師”を目指し外科の道に。消化器がんの腹腔鏡下手術を多数手がけてきた消化器外科のエキスパートが地域の「よろず相談所」を継承
はじめに、篠田先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

私の家は医師の家系で、父も祖父母もみんな医師なのです。特に祖母からは日常的に「あなたも医者になりなさい」と言われ続けていたため、小学生くらいまでは、それが当たり前だと思っていました。ただ、高校生になるといろいろなことに興味が出てきて、「本当にこの道でいいのか」と立ち止まるようになったんです。
でも、幼い頃から医師として働く父の姿を間近で見ていて、医療の世界に対する興味や憧れはずっと心のどこかにあったんだと思います。結局、進路として“医師”を選んだのは、自然な流れだったのかもしれません。
消化器外科を専門に選ばれた理由について教えてください。
私の父はもともと循環器内科医でしたが、後に心療内科に転向し、自分の趣味であるピアノを用いて、音楽療法が周知されるように日々診療を行っていました。そんな父の背中を見て、私も同じ道に進もうかと考えていた時期がありました。けれど父から「まずは一人前の医師になってからだ」と叱咤されまして、それならばと、以前から興味があった外科医を志すことにしたんです。
研修医時代にさまざまな診療科を経験するなかで、外科のチーム一丸となって患者さんに向き合う姿勢や、手術に臨む外科医たちの真剣なまなざしに魅了されました。普段の姿からは想像もできないような集中力でメスを握る姿は、本当にかっこよかったですね。外科医には、全身にわたる幅広い知識が求められますし、自らの手で患者さんを直接治療し、回復していく姿を最後まで見届けられる──そこに医師としての醍醐味を感じました。またどんな患者さんが来ても対応できる“何でも診られる医師”でありたいという思いが強く、外科はその思いを実現できるフィールドだと感じたことも専攻した理由の一つですね。
貴院を継承されるまでのご経歴をお聞かせください。
東京慈恵会医科大学医学部を卒業後、同大学附属病院で初期研修を修了し、外科に入局しました。消化器外科を専門とし、大腸や肛門疾患を中心に消化器全般の外科手術に幅広く取り組んできました。
勤務したのは、東京慈恵会医科大学附属柏病院や青砥病院(現・葛飾医療センター)などの大学関連施設です。大腸がん・直腸がんといった消化器がんを対象に、検査・診断から外科的治療、さらに術後の全身管理まで一貫して担ってきました。なかでも町田市民病院では、ロボット手術の立ち上げに携わり、低侵襲手術の技術向上に努めてきました。また、肛門疾患では直腸が肛門から脱出する「直腸脱」に対する腹腔鏡下手術にも多く携わっています。
外科医は手術そのものに加え、術後の全身管理まで担う立場にあるため、内科的な視点や全身状態の把握・判断力も求められます。こうした経験の積み重ねが、現在の診療の土台となっており、患者さんに対してより総合的かつ的確な医療を提供するうえで大きな力になっていると考えます。
2025年4月に貴院を承継されていますね。
前院長の松島先生が、大学医局時代の先輩だったご縁で、お声がけいただいたのがきっかけです。正直なところ、それまで自分が開業することはあまり考えていませんでした。
ただ、病院勤務が長くなるにつれて、管理職としての業務がどんどん増えていくことに寂しさを感じていたんです。町田市民病院では下部消化管外科の担当部長を務めていましたが、気づけば患者さんと向き合う時間よりも、会議や書類仕事に追われる日々。ふと、「このまま患者さんを診ることなく、医師人生が終わってしまうのではないか」という焦りすら覚えるようになりました。
そんなときにいただいたのが、この医院承継のお話です。患者さん一人ひとりとしっかり向き合える環境に魅力を感じ、迷うことなく決断しました。


医院を継承されてから、診療内容に何か変更はありましたか?
大きな変更点としては、以前は休診日だった木曜・土曜にも診療を行うようにし、診療時間も木曜午後を除き平日は18時まで延長しました。また、しばらく行われていなかった胃・大腸の内視鏡検査を再開し、新たに肛門外科の診療もスタートしています。
それ以外の基本的な診療体制は、これまでと大きく変えていません。前院長の松島孝雄先生は、「からだのことなら何でも相談できる、地域の“よろず相談所”」として長年にわたり信頼を築いてこられました。私もその精神を大切にし、地域の皆さんの健康を支える存在であり続けたいと考えています。