トライアスロン選手から医師に転身。総合内科専門医として患者に寄り添うクリニックを開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

私は学生時代から「鉄人レース」とも呼ばれるトライアスロンに打ち込んでいました。学生チャンピオン、全国大会2位、さらにはオリンピック強化指定選手として活動した経験もあります。プロとして本格的に競技に取り組む中で、次第に自身の体調や健康への意識が深まり、医学の知識の大切さを痛感するようになりました。そんな中、原因不明の体調不良や度重なる怪我に悩まされるようになり、内科や整形外科を受診するものの、「異常なし、大丈夫」と言われ、根本的な解決に至らないことも少なくありませんでした。
そうした経験から、「自分と同じように悩んでいる人に寄り添い、きちんと解決策を導ける医師になりたい」と考え始めるようになったのです。とはいえ、アスリートから医師への転身は、決して簡単なものではありませんでした。同じように社会人を経て医師を目指していた仲間と励まし合いながら必死に受験勉強に打ち込み、新潟大学医学部に合格することができました。
総合内科を専攻されたのには、どういった理由があったのでしょうか?
医学部に入学した当初は整形外科医を目指していました。しかし、実際の整形外科診療は、主に手術や特定の疾患に対する高度な専門医療が中心であり、私が思い描いていた「アスリートの悩みに寄り添う診療」とは少し方向性が異なると感じるようになりました。
さらに、地域医療での実習を通じて、一つの症状だけでなく複数の不調を抱える患者さんや、どこが悪いのかわからない状態で来院される患者さんが非常に多いことを目の当たりにしたことで、「高度な専門医療はもちろん大切だが、その前に多くの患者さんは“もっと身近な医療”を必要としているのではないか」と考えるように。患者さんの話を聞き、全身を診察し、適切な検査を考え、必要に応じて専門医へつなぐ──このような“総合的な診療”こそが、自分の目指す医療だと確信し、総合内科に進むことを決意しました。
これまでのご経歴と、携わってこられた主な疾患や症例について教えてください。
新潟大学医学部を卒業後、新潟市民病院にて初期研修を受けました。最初は右も左もわからない手探りの状態でしたが、指導医や先輩方の支えのもと、診療の基本的な流れを学びました。その後、北海道の江別市立病院の総合内科に勤務し、急性症状から慢性疾患まで、幅広い一般内科診療を経験しました。
開業直前まで勤めていた福島県立医科大学附属病院では、総合内科に所属し、他の診療科で専門的な検査や診療を行っても原因が特定できなかった患者さんを多く担当しました。そこで私が最も大切にしていたのは、「患者さんの話をじっくり聞くこと」です。地道な問診で病歴を丁寧に掘り下げながら、全身の慢性疾患、感染症、自己免疫疾患、さらには生活習慣病など多岐にわたる疾患へのアプローチを行いながら、患者さんが納得できる答えを導くことに尽力しました。
日々の診療を通じて、適切な診断や治療を見出すことの難しさを痛感すると同時に、「どのような病気であっても、まずは患者さん全体を捉えることが重要である」という確信を深めました。この経験と学びは、現在の診療にも深く活かされています。
開業を決意されたのには、先生のどんな想いがあったのでしょうか?
大学病院では専門外来で診断が難しい複雑な症状や、他院から紹介された原因不明の症状を抱える多くの患者さんと向き合ってきました。ところが実際には、病歴の確認や身体診察、簡単な検査のみで診断できるケースも少なくありません。つまり、本来であれば地域のクリニックで十分に対応可能な疾患であるにもかかわらず、大学病院に紹介され、長い待ち時間や複数回の通院を強いられることは、患者さんにとって大きな負担だと感じていました。
そこで、「自ら開業し、総合的な診療をより身近な場所で提供することで、患者さんの身体的・経済的な負担を軽減したい」と考えたのが、開業を決意した大きなきっかけです。また、「一度診て終わり」ではなく、地域のかかりつけ医として長く患者さんに寄り添い、継続的に健康を支えていきたいという強い思いもありました。
ちょうどその頃、前身である「十日町ようこクリニック」の前院長である深瀬洋子先生が引退されるタイミングでお声がけいただき、自分の理想とする医療を実現できる場だと感じて継承を決意。2024年10月に「十日町ようへい内科クリニック」として新たにスタートしました。
