父と同じ外科医の道へ。大学病院で大腸がん手術を中心に研鑽を積んだ後、妻とともに地域医療の担い手に
はじめに、おふたりが医師を志したきっかけをお聞かせください。

【謙副院長】当クリニックは、2001年に外科医である私の父が開業したクリニックです。父から「医者になれ」と言われたことはなかったのですが、幼い頃から仕事場にもよく足を運び、父の働く姿を間近で見ているうちに、私も自然と医師を目指していました。
【果林医師】私の父も開業医で、石川県能登地方の過疎地で診療所を一人で支えていました。専門は小児科でしたが、地域の特性上、幅広い疾患に対応しなければならず、多忙を極めながらも地域医療に尽力する父の姿を見て育ちました。その背中に強く影響を受け、「自分も人の役に立つ仕事をしたい」という思いが芽生え、医師の道を志しました。
謙副院長は外科、果林先生は消化器内科がご専門ですが、どのような理由で専攻されたのでしょうか?
【謙副院長】父が外科医だった影響もありますが、私自身も幼い頃から手を動かして何かを作ることが好きで、自然と「手術」という分野に興味を持ちました。自分の手で直接病気を治すことができる──その実感が得られる点にも強く惹かれ、外科の道を選びました。
【果林医師】私が消化器内科を選んだのは、直感的に「面白い」と感じたからです。「お腹が痛い」という一見よくある症状の裏に、実に多様な疾患が隠れていることがあり、とても奥の深い分野だと思いました。また、内視鏡を使って検査だけでなく治療まで行える点にも大きな魅力を感じ、専門にすることを決めました。
貴院に入職されるまでのご経歴を教えてください。
【謙副院長】山梨大学医学部を卒業後、慶應義塾大学医学部の外科(一般・消化器)に入局し、約5年間にわたり研鑽を積みました。2016年からは大腸がんを専門とする「腸班」に所属し、腹腔鏡や内視鏡を用いた手術に数多く携わり、大腸がん診療の最前線を経験しました。その後は川崎市立川崎病院や練馬総合病院に勤務し、消化器外科を中心に幅広い診療に従事してきています。
外科医として進行がんの患者さんを診るなかで、再発や合併症、術後の生活の質の低下によって、長期間つらい状況に苦しむ患者さんを目にしてきました。こうした経験から、何よりも早期発見の重要性を痛感し、内視鏡検査が果たす役割の大きさを深く認識するようになりました。

【果林医師】私は岩手医科大学を卒業後、慶應義塾大学医学部の消化器内科に入局しました。大学院ではC型肝炎や自己免疫性肝炎などの研究に取り組み、医学博士を取得しています。
その後、山王メディカルセンターの予防医学センターに所属し、人間ドックや健康診断を担当しながら胃カメラによる疾患の早期発見に尽力してきました。ここでは、受診者の約8割が鎮静剤を使用した内視鏡検査を希望されていたため、安全性に配慮した鎮静下での内視鏡検査を数多く経験しています。
そして、2023年に謙先生が、2025年に果林先生が貴院へ入職されました。
【謙副院長】当クリニックは父が「山高クリニック」として開業して以来、一般内科と消化器内科の診療をメインに、幅広い症状に対応する地域の「かかりつけ医」として20年以上、診療を続けてきました。私にとっても八王子市は生まれ育った地元であり、大切な場所です。私自身が培ってきた外科医としての経験と内視鏡検査・治療の技術を生かし、父が築いてきた地域医療を次世代に繋げたいと考え、当院への入職を決意しました。特に、胃がんや大腸がんの早期発見の重要性や、内視鏡検査の意義を多くの方に伝えたいと強い使命感を抱いています。
女性の患者さんから「女性医師に診てもらいたい」という声も多かったため、2025年には妻の山髙果林医師も入職し、多様なニーズに応えられる診療体制を整え、名称も「西八王子やまたか消化器内視鏡クリニック」と変更しました。父にはこれまで通り、一般内科を含めた総合的な診療を続けてもらい、私と妻が主に胃や大腸の内視鏡検査を担当しています。
