父の死をきっかけに「人の助けになる仕事」がしたいと医師に。ベテラン産婦人科医が、女性の一生に寄り添い、真摯にサポートするレディースクリニックを開業
はじめに、三浦先生が医師を志されたきっかけと、産婦人科を専門に選ばれた理由をお聞かせください。

中学生のときに父を亡くし、家族として何もできなかった自分に無力さを感じたことが、医師を志す原点になりました。大切な人を失った悔しさや心残りがずっと心にあり、「人の役に立ちたい」という思いが次第に強くなっていったのです。もともと理系科目が得意だったこともあり、その力を人のために活かせる職業として、医師という道を選びました。
産婦人科を専門にしたのは、診療の幅広さに魅力を感じたからです。妊娠・出産のサポートに加えて、ホルモンが関係する月経や更年期に関連する不調、子宮筋腫や卵巣のう腫などの良性腫瘍、子宮頸がんや子宮体がんなどの悪性の腫瘍など、女性特有の疾患に幅広く関わることができるのがこの分野です。思春期から老年期まで、あらゆるライフステージの女性に寄り添い続けられること、そして命の誕生というかけがえのない瞬間に立ち会えることに、大きなやりがいを感じました。
開業されるまでのご経歴と、主に携わってこられた診療内容をお聞かせください。
東京慈恵会医科大学を卒業後、同大学附属病院の産婦人科に入局しました。その後、母子周産期医療センターをはじめとする地域の総合病院で長年勤務し、開業医として地域医療に携わるまで幅広い臨床経験を積んできました。
その中で、大学病院では、子宮頸がん・子宮体がん・卵巣がんといった婦人科がんから、子宮筋腫や子宮内膜症、卵巣のう腫など良性の婦人科疾患の診療まで幅広く携わり、開腹手術や腹腔鏡下手術を含む多様な手術についても研鑽を積んできました。
三浦先生は、産婦人科専門医であると同時に、周産期(母体・胎児)専門医としても豊富な経験をお持ちですね。
大学病院や総合病院で産婦人科全般の診療に従事した後、国立成育医療研究センターの周産期診療部に配属されました。同センターは、小児・周産期医療を専門とする高度専門医療機関であり、そこでハイリスク妊娠を含む周産期医療の最前線に身を置く機会を得ました。母体や胎児、新生児に関わる高度な医療に日々向き合いながら、総合的な知識と技術を磨くことができた貴重な時間だったと感じています。
以降も、町田市民病院、立川病院などの基幹病院で、妊娠から出産にいたるまで一貫したケアを提供し、命の誕生に携わってきました。
大学病院や母子周産期医療センターで高度先進医療に携わってこられた三浦先生が、開業を決意された背景にはどのようなきっかけがあったのでしょうか?
数年前、家庭の事情から周産期医療の現場を離れ、時間の調整がしやすい産婦人科クリニックで勤務するようになりました。そこで、思春期・成熟期・更年期・老年期と、人生のさまざまな段階で悩みや不調を抱える女性たちと向き合う日々を過ごすうちに、女性の一生に寄り添う「女性医学」への関心が深まりました。
私自身も更年期に差しかかり、子どもたちが思春期を迎えるなかで、女性が年齢やライフステージごとに抱える体や心の変化を、より身近で切実な問題として実感するようになりました。こうした経験を経て、同じように悩む女性たちに寄り添い、ライフステージごとの健康を長く支えていきたい──その思いが次第に強くなり、地域に根ざした産婦人科クリニック開業を決意しました。
2025年7月1日に開業されましたが、この場所を選ばれた理由をお聞かせください。
武蔵野は、私自身が生まれ育った思い出深い町です。近くの小金井公園は、幼い頃からよく遊んでいた場所で、子どもが生まれてからは、子どもたちのお気に入りの遊び場にもなっていました。そうした土地ならではの親しみや安心感が、この地域で開業したいと思った大きな理由のひとつです。
また、これまで勤務していた立川病院などとも距離が近く、必要に応じて円滑に連携が取れる点も開業地として適していると感じました。慣れ親しんだこの地域で、これまで培ってきた経験を生かしながら、女性の一生に寄り添う医療を提供していきたいと考えています。

