消化器内科医・内視鏡専門医として幅広く研鑽を積んだ後、自身が理想とする医療を実現するため開業
石岡先生が医師を目指されたきっかけと、消化器内科を専攻された理由を教えてください。

父や両祖父をはじめ、親族に医師が多い家系で育ち、自然と「自分も大人になったら医師になるのだろう」と思うようになっていました。
専門については、消化器内科医である父が若い頃に、内視鏡検査の画像データを繰り返し見直している姿を側で見ていた影響もあってか、自然と興味を持つようになりました。当初「父と同じ道を選ばなくてもいいのでは?」という少しばかりの反抗心もあり、外科など他の選択肢も考えましたが、自身が写真を撮ることが好きだったことも影響し、大学卒業間際に消化器内科へ進む決意を固めました。今となっては非常に性に合っていると感じていて、また選び直すとしても、同じ道を選ぶと思います。
秋田大学医学部卒業後、附属病院で研鑽を積まれました。どのような症例を診てこられたのでしょうか?
秋田大学医学部附属病院では医師の数が限られていたこともあり、さまざまな疾患を診る機会に恵まれ、消化器疾患全般の診療に携わり研鑽を積みました。特に、私が消化器内科に入局した頃は、炎症性腸疾患(IBD)の治療が大きく変わる転換期でした。潰瘍性大腸炎やクローン病などの難病に対して生物学的製剤が登場し、それまで有効な治療が限られていた患者さんが新しい治療法によって劇的に回復していく様子を目の当たりにしました。また、当時東北大学から赴任された志賀永嗣先生が、炎症性腸疾患の地域医療を変革しようと尽力されており、間近で学ぶことができたのは貴重な経験です。
その後の専門分野を決める際に、炎症性腸疾患をより深く学ぶか、がん診療を極めるかで迷いましたが、私に内視鏡の基礎を教えてくださった藤盛修成先生が、まるで自分の手足のように自在に内視鏡を操り、近隣の医療機関では対処困難な症例に対しても、いとも簡単に検査・治療をこなす姿に強い憧れを感じていたこともあり、がん診療の道に進みました。
大学院にも進まれて、医学博士を取得されていますね。
大学院では肝臓を専門に、脂肪肝と食事内容、腸内細菌の関連について研究しました。ちょうどその頃、腸内細菌のゲノム解析が広がりはじめていたこともあり、腸内細菌が便秘や下痢などの消化器症状に及ぼす影響について取り組み、学位を取得しました。
大学病院は重症度の高い患者さんが中心ですが、地域のクリニックに来られる患者さんの多くは、胃痛や腹痛、おなかの張りといった不調で受診されます。開業医となった現在、大学院で学んだ知識が診療にも大いに役立っていると感じています。
その後に上京されて、がん研有明病院に入職されました。

がん研有明病院は、がんの治療で高度な医療を提供している専門病院で、私は消化管内科で主に初期がんの内視鏡治療を担当しました。通常、内視鏡の専門資格の取得には5年間で20例の内視鏡治療経験が必要ですが、同院の治療件数は桁違いに多く、私は最初の1年間で100件以上もの内視鏡治療に携わることができました。異例のスピードで実績を積み、内視鏡技術を磨くことができたのは、この病院の環境ならではだったと思います。
また、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)といった高度な治療技術の習得はもちろんのこと、多岐にわたる症例の中で「この病変をどのように診断するか」「どの方針で治療を進めるべきか」といった思考過程を、がん診療の最前線にいる先生方から直接学べたことも大きな経験になりました。
開業を決意されたきっかけは何だったのでしょうか?
がん研有明病院を辞した後、都内の内視鏡専門クリニックに移り院長を務めていたのですが、組織の拡大に伴って、次第に一人の患者さんを複数の医師が担当するようになりました。検査、診断、結果説明を別々の医師が行うこともあり、患者さんにとって最適な診療のあり方を考えるようになったんです。
私は、内視鏡検査は検査前から結果のフィードバック、その後の治療に至るまで、一連の流れを同じ医師が責任を持って対応するのが大切だと思っています。特に胃腸の症状は、患者さんの生活習慣や心理状態とも密接に関わるため、継続的に同じ医師が診ることで、より深い理解が得られ、適切な治療につながります。「もっと患者さんに寄り添ったていねいな診療がしたい」という想いが強くなり、2024年7月に当クリニックを開院しました。

