基幹病院で研鑽を重ねた呼吸器専門医が、地域医療を支える"かかりつけ医"に転身
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

私の父は企業に勤めるサラリーマンでしたが、父方の祖父が医師だったと聞いていました。祖父は私が生まれる前に他界していたため、直接会ったことはありません。ただ、高校時代、将来の進路を考えるときに、さまざまな選択肢がある中でも、自然と医師という道を意識するようになりました。祖父の存在が、そのきっかけの一つになっていたのだと思います。
千葉大学医学部を卒業後、呼吸器内科を専門に選ばれたのですね。
内科には循環器や消化器などさまざまな専門分野がありますが、呼吸器内科は比較的新しい診療科でした。専門的に呼吸器を診る医師がまだ少ない中で、この分野を体系的に学び、深く取り組みたいという思いが強まり、呼吸器内科の道を選びました。
都立府中病院(現:東京都立多摩総合医療センター)では、どのようなご経験をされたのでしょうか。
多くの患者さんが来院される基幹病院で、呼吸器の急性疾患から慢性疾患まで、幅広い症例に向き合いました。なかでも特に印象に残っているのが、救命救急の現場での経験です。
重篤な呼吸不全に対して、迅速かつ的確な気管挿管をはじめとする初期対応を求められる場面も多く、病状を的確に見極め、即座に処置へ移る判断力と技術を徹底的に学びました。これらの経験は、今の診療にも確実に活かされていると感じています。
勤務医時代には、医学博士号の取得や米国ペンシルバニア大学への留学も経験されたのですね。
博士課程では、「呼吸調節」をテーマに論文を執筆しました。人の呼吸は、脳にある「呼吸中枢」と呼ばれる部位によってコントロールされています。私の研究では、この呼吸中枢による調節機構を詳細に検証し、特に「炭酸脱水酵素阻害薬」に着目しました。この薬は本来、緑内障などの眼科領域で使われるものですが、呼吸機能にも一定の作用を及ぼす可能性があるとされており、その効果について呼吸中枢の働きとの関連性から検討を行いました。
その後、米国ペンシルバニア大学への留学においても、引き続き呼吸調節の研究に取り組みました。基礎医学としての探究を深めると同時に、臨床現場における応用や、世界の最先端の医療についても広く学ぶことができた貴重な時間でした。
その後、開業に至るまでのご経歴を教えていただけますか。
大田区にある東京労災病院に27年間勤務し、大森・蒲田・糀谷エリアを中心に、多くの患者さんと向き合ってきました。呼吸器内科部長や副院長を務めるなど、診療に加えて病院運営にも携わる中で、地域医療の重要性を日々実感していました。2022年に同院を退職し、これまで長く関わってきた大田区にて「とじま内科クリニック」を開院いたしました。
要職を歴任されながら開業を決められたのには、どのような想いがあったのでしょうか。
定年を迎えて副院長職を退くという大きな節目に、これまでを振り返る中であらためて強く感じたのは、「まだ臨床の現場で患者さんと向き合い続けたい」「医療を通じて、これからも社会に貢献したい」という思いでした。年齢に関係なく、医師としての使命を果たし続けるにはどうすればいいかを考えた末、たどり着いたのが開業という新たな挑戦でした。
クリニックを大田区大森に開設したのは、27年間勤めた東京労災病院にほど近く、これまで診てきた地域の方々にこれからも変わらず寄り添っていきたいという願いがあったからです。地域に根差し、安心して足を運んでいただける“かかりつけ医”として、これからも一人ひとりと丁寧に向き合っていきたいと考えています。
