故郷への恩返しの気持ちも込めて、地域の第一線で患者に親身に寄り添う開業医に
はじめに、医師を志したきっかけを教えてください。
私は、父も祖父も医師という家に生まれ、物心ついた頃には、「いつかは自分も医師になりたい」と思っていました。ところが、高校3年生になり、いよいよ最終的な進路を決めなければならないときに、医師という仕事の責任の重さにプレッシャーを感じるようになったのです。医師は、患者さんの命を預かり、人生に深く関わります。自分に医師としてやっていく覚悟が本当にあるのか、自分に務まるのだろうかと思い悩んでいました。
そんな迷いが吹っ切れたのは、父が診療している様子を見学させてもらったことでした。最初は不安そうな患者さんが、父の診察を受けると安堵した表情で帰っていくのです。患者さんに真摯に向き合う父の姿と、患者さんの様子を間近で目にし、「医師というのは、やはり素晴らしい仕事だ」と確信できました。同時に、「自分も父のような患者さんに親身に寄り添う医師になりたい」と目指す医師像も明確になり、医師になることを決めました。
耳鼻咽喉科を選択されたのは、どのような理由からですか?
父が耳鼻咽喉科医ですので、その背中を追いかけようと、北里大学医学部を卒業後、父の母校でもある東京慈恵会医科大学付属病院で初期研修を行い、そのまま同大学の耳鼻咽喉科学教室に入局しました。
実は、感染症に興味があり、一時、感染症内科医を目指そうかと考えたこともありましたので、耳鼻咽喉科の中でも、特に、発症に感染症が深く関与する「鼻副鼻腔領域」を専門に学びました。
2019年2月に開院されたそうですが、経緯を教えてください。
入局後は、東京慈恵会医科大学付属病院や関連病院などの基幹病院で、エネルギッシュにプライドを持って耳鼻咽喉科学を探究する先輩医師のもとで研鑽を積んできました。先輩たちの築いた地盤のおかげで症例にも恵まれ、特に「鼻副鼻腔領域」では数多くの手術も経験させてもらいました。中には、脳外科医と共同で「下垂体腫瘍摘出術」や、形成外科医とともに鼻の形を修正する「外鼻形成術」といったチームで取り組む特殊な手術も行っていました。
また、富士市立中央病院などの地域の中核病院でもさまざまな耳鼻咽喉科疾患の治療に取り組んできたのですが、そうした中で気づいたのが、「手術が必要になる前に治せたのではないか」と感じる患者さんが少なくないことでした。
病気の早期発見や重症化を防ぐには、地域の中で初期診療を担う、患者さんにとって医療の最初の入り口である診療所(クリニック)の役割はとても重要です。患者さんの身近な場所で、第一線の治療をできたらと思い開業することを決めました。
この場所で開業された理由がありましたら、お聞かせください。
大田区・武蔵新田は、私が幼少期を過ごした思い出深い場所なのです。今でも、近所の人たちにやさしく育てていただき、とても楽しく過ごした思い出が数多く蘇ってきます。大学病院に勤務していたときも、ときどき武蔵新田に遊びに来たり、当院からもっとも近い東邦大学医療センター大森病院に勤務していたりと、大田区には並々ならぬ縁を感じていました。
そして自分が開業を考えたタイミングで、たまたまこの武蔵新田に耳鼻咽喉科がなかったことを知り、「私の故郷でもあるこの地域にお住まいの方々への感謝の気持ちを医療という形で還元し、貢献していきたい」とこの地での開業を決めました。
また、相談に乗ってくれた両親もこの武蔵新田が大好きでこの場所での開業の後押しをしてくれたことも大きく影響していますね。