祖父や父の影響を受け医師の道へ。大学で膠原病やリウマチの診療・研究に取り組んだのち、開業を決意
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

祖父も父も医師という家庭で育ち、幼い頃から医療の現場や医師という職業がとても身近な存在でした。そのような環境のなかで、将来の進路を考えるようになったとき、自然と「医師」という選択肢が思い浮かぶようになっていましたね。もともと生命現象に興味があり、文系より理系の分野が得意でしたので、そうした自身の関心や適性も、医師を目指す後押しになったと感じています。
先生は順天堂大学医学部をご卒業後、どのようなご経歴を歩まれたのでしょうか?
医学部卒業後は、自治医科大学附属病院内科で初期研修を行い、その後は杏雲堂病院の内科など複数の医療機関に勤務し、臨床経験を重ねました。さらに順天堂大学大学院に進学し、膠原病・リウマチ内科学の分野で自己免疫疾患、なかでも全身性エリテマトーデス(SLE)を中心とした研究に取り組み、医学博士号を取得しています。
大学院修了後には、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のハワードヒューズ医学研究所に留学し、大学院時代の全身性エリテマトーデスと関連性が示唆されているレトロウイルスの研究から発展し、HIVウイルスの遺伝子発現に関する基礎研究に従事しました。
帰国後は、順天堂大学の関連病院で診療に携わりその後、兄が教授をしていた名古屋市立大学の研究室でも研究を継続。1999年からは、東京女子医科大学の膠原病リウマチ痛風センターに所属し、専門性をさらに深めてまいりました。
さまざまな診療科があるなかで、どのような理由から自己免疫疾患の領域を専門とされたのでしょうか?
大きなきっかけは、母が私が生まれる前から関節リウマチを患っていたことでした。身近な存在が病と向き合う姿を見てきたことで、学生時代から膠原病内科や神経内科といった難病の領域に関心を抱いていました。また、兄も医師として先に膠原病内科を専門にしており、その影響も少なからず受けています。
東京女子医科大学の膠原病リウマチ痛風センターでは、長年にわたり医療に尽力され、医局長や准教授も務められました。これまでに主に診てこられた症例や疾患についてお聞かせください。
膠原病リウマチ痛風センターでは、その名称の通り、関節リウマチなどのリウマチ性疾患を中心に膠原病という全身性疾患の診療を行ってきました。大学附属の専門施設であるため、外来・入院ともに、病状の複雑化した症例や治療抵抗性の高い患者さんが多く、日々の診療を通して高度な医療の提供に努めるとともに、豊富な臨床経験を積むことができました。
また同センターは、診療のみならず教育や研究にも力を入れており、私自身も自己免疫疾患に関する研究活動を継続するとともに、医学生や初期・後期研修医への教育にも携わってまいりました。臨床・教育・研究の三位一体の体制のなかで、専門性を深めると同時に、後進の育成にも力を注いできたことは、大きなやりがいであり、現在の診療の礎にもなっています。
そして2009年、「南大塚クリニック」を継承・開業されました。どのような想いから開業を決意されたのでしょうか?
大学病院では、数多くの患者さんの診療に携わりながら、総合内科専門医、リウマチ専門医、アレルギー専門医の資格も取得し、先ほど触れた通り、臨床に加えて研究や教育にも力を注いできました。そうした日々を積み重ねるなかで、自分が大学という場で取り組むべきことは、ひと通りやり切れたのではないかという思いが少しずつ芽生えてきたのです。
今後の医師としての在り方を考えたとき、自然と思い浮かんだのは、祖父や父が歩んできた「開業医」としての道でした。地域に根差し、患者さん一人ひとりと丁寧に向き合う医療のかたちに、自分自身の“第二の医師人生”を重ねるようになっていきました。そんな折、前院長とのご縁をいただき、「南大塚クリニック」を引き継がせていただくことになりました。大学病院で培った知識と経験を、地域の皆さんの健康に役立てていきたいという思いで、2009年に開業するに至ります。

