食道がん手術の権威のもとで研鑽を積み、大学病院や基幹病院で要職も務めてきたベテラン消化器外科医がプライマリ・ケア医に転身
はじめに、医師を志されたきっかけと、消化器外科を専攻された理由をお聞かせください。

私の父が皮膚科医、母方の祖父が産婦人科医という環境で育ったこともあり、幼い頃から医療はとても身近な存在でした。身内の背中を見ながら、自然と「人の健康を支える仕事に就きたい」という思いが芽生えていったように思います。
一時期は別の道を考えたこともありましたが、兄も医師の道を歩み始めたことで、私自身も初心に立ち返り、「自分も医療に携わりたい」と決意しました。
外科を選んだのは、手術を通じて患者さんの命を直接救うことができる点に強く惹かれたからです。外科医は手術だけでなく、精密検査や救急対応、術後の全身管理まで幅広く担うため、内科的な知識や判断力も欠かせません。こうした総合力が求められる領域で、知識と技術の両面から患者さんに貢献できることに大きなやりがいを感じました。
貴院の院長に就かれるまでのご経歴をお聞かせください。
順天堂大学医学部を卒業後、2年間の外科研修を経て、消化器外科を中心に乳腺外科なども担当する同大学第一外科に入局しました。順天堂大学医学部附属順天堂医院をはじめ、関連病院で胃がんや大腸がんなどの消化器がん手術に携わり、肝臓・胆嚢・膵臓といった臓器を含む消化器全般の診療に幅広く従事しながら、専門的な経験を積んできました。在籍中には、アメリカ・ニューヨーク州のロズウェルパーク記念研究所に留学し、2年間にわたりがん免疫に関する研究に従事しました。帰国後はその研究成果をもとに学位を取得しています。
以降、退局するまでの16年間にわたり、順天堂大学食道胃外科医局長、東京江東高齢者医療センター外科科長、順天堂大学医学部上部消化管外科専任准教授などを歴任。重症患者の消化器外科診療に尽力するとともに、後進の育成にも力を注いでまいりました。
消化器疾患の中でも、特に食道がん・胃がんについて、多くの症例を経験されたそうですね。

母校の順天堂大学は、在籍当時には食道がん手術において国内でも屈指の実績を誇る施設でした。食道がん手術の第一人者である教授のもとで研鑽を積み、年間80〜90例におよぶ手術に携わりました。
食道がんはその手術も、頚部から胸部そして腹腔内の3領域にわたる手術範囲と、周囲に重要な臓器と接するため、手術自体の難易度が非常に高いものでした。また手術の侵襲が大きいため、術後の全身管理などもスタッフが一丸となって対応しなければならない疾患でした。
そうした環境の中で、国内トップレベルの医療チームの一員として臨床に携わることができた経験は、私の外科医としての礎であり、現在の診療にも大きく活かされています。
大学病院などで要職を務められていた鳴海先生が、開業医へと転身されたのはどのような経緯だったのでしょうか。
最も大きな理由は、実家の医院を一人で守っていた父が高齢になったことです。もともと、いつかは父の跡を継いで地域医療に貢献したいという思いがあり、そのタイミングが訪れたと感じました。
大学を退職した後は、2年間、在宅診療専門のクリニックで内科疾患全般について改めて経験を積みました。外科医として長くキャリアを重ねてきましたが、在宅や慢性疾患を中心とした地域医療の現場では、また異なる視点や学びが多くありました。そうした経験を経て、2018年3月に当院へ戻り、父が96歳で他界するまでの数年間、ともに診療にあたることができました。親子二代で地域の患者さんを支えられたことは、私にとって何より貴重な時間でした。
鳴海先生が院長に就かれてから、貴院の診療内容はどのように変わりましたか?
父が長年専門としてきた皮膚科は、美容関連の知識や技術も含め、時代に合わせて新しい情報を取り入れながら私が引き継ぎ、引き続き診療を行っています。
そのうえで、私自身の専門である消化器内科を中心に、一般内科や外科も標榜し、地域の皆さんの“かかりつけ医”として、幅広いご相談に対応できる体制を整えました。風邪や生活習慣病といった身近な症状から、消化器疾患、外科的処置、美容皮膚科まで、さまざまなニーズに応えられる「総合的な地域医療」を目指しています。
