首から足先まで、年間1300件近くの手術に携わってきた整形外科医が、入院・手術設備を備え、リハビリテーションまで一貫して提供する整形外科クリニックの院長に
はじめに、伊藤先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

私の実家が、江戸時代から続く医師の家系なのです。父が脳外科医、祖母が外科と産婦人科医、親戚にも開業医がいるという環境で育ったので、ごく自然に自分も医師になるものだと思っていました。ただ、実は、高校生のときに、建築士もいいなと思い始め、父に相談したことがあったのです。でも、無言の圧力のようなものを感じ(笑)、結局、初志貫徹で医師の道を目指しました。
整形外科を専門とされたのには、どのような理由があったのでしょうか?
父も祖母も外科医でしたので、自分も外科系に進むことは早い段階で決めていました。ただ、脳外科医である父は常に多忙で、子どもの頃は一緒に食事をする機会も少なく、ほとんど家にいなかったんです。自分には父のような生活は難しいと感じていました。
学生時代に所属していたサッカー部では、ケガをした後輩たちも多く、その経験を通じて「整形外科医としてスポーツやケガの治療に携わりたい」という思いが次第に強くなり、整形外科の道に進むことを決めました。
伊藤先生のご経歴をお聞かせください。
岩手医科大学医学部を卒業後、同大学の整形外科に入局し、約12年間、医局関連の病院で勤務しました。地方病院の整形外科は、2~3人という少人数で診療を担うことも多く、首から足先まであらゆる部位の外傷や疾患を幅広く診る必要があります。手術も骨折や変形性関節症に対する人工関節置換術、椎間板ヘルニアなどの脊椎疾患、スポーツ外傷など多岐にわたり、多いときには年間1,300件近い手術に携わりました。忙しい日々でしたが、その分、臨床経験を深め、大きな研鑽の機会となりました。
その後、同大学大学院に進学し、関節リウマチの研究で学位を取得した後、千葉県市原市の白金整形外科病院・白金整形外科クリニックに勤務し、変形性関節症に対する人工関節置換術や脊椎手術を中心に診療に携わってきました。
手術を中心に、整形外科のエキスパートとして腕を振るわれてきた伊藤先生が、貴院の院長に就かれた経緯をお聞かせください。

当院の理事長である牧井勇磨先生は、同じ整形外科病院で勤務していた元同僚で、3年ほど前に本院にあたる「三枝整形外科医院」を継承されました。その頃から牧井先生とは、「いつか手術にも対応できる整形外科クリニックを立ち上げよう」と目標を共有していたんです。その念願が実り、2025年7月に三枝整形外科医院の分院として、入院・手術設備を備え、リハビリテーションまで一貫して提供できる整形外科クリニックを立ち上げることができ、私が院長に就任しました。