地域医療に邁進した父から「医師の真髄」を学んだ眼科専門医が、高度な眼科医療を提供する眼科医院を運営。失明から目を守るため、往診も開始
はじめに、日比野先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

医師を目指すようになったのは、外科の開業医だった父の影響が大きかったですね。幼い頃は、家庭を顧みず常に忙しく働いていた父の仕事に反発心を覚えることもありましたが、成長するにつれてその思いは変わっていきました。
人の人生に深く関わり、命を救い、健康を支える――そんな医師という職業の尊さに気づくようになったのです。そして、何よりも父の背中を通して、そのかけがえのなさを実感するようになり、自然と自分も医師の道を志すようになりました。
眼科を専攻されたのは、どのような理由があったのでしょうか?
眼科を選んだのは、内科的な治療と外科的な処置、その両方の側面から患者さんにアプローチできる点に魅力を感じたからです。さらに、眼科は女性医師一人でも質の高い医療を提供できる領域であり、専門性を高めながら自立して診療に取り組める点にも惹かれました。
また、視覚は日常生活を送る上で欠かせない感覚です。その大切な機能を守り、患者さんの生活の質を支えるという役割にやりがいを感じたことも理由の一つですね。
開業に至るまでのご経歴についてお聞かせください。
慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学の眼科学教室に入局し、慶應義塾大学病院にて研鑽を積みました。在籍中は、斜視や弱視といった小児眼科をはじめ、白内障、緑内障、網膜剥離など、眼科領域を幅広く診療してきました。研修医時代には、深夜まで眼科手術のサポートに入ることも多く、とてもハードな環境でしたが、眼科診療の基礎から高度な手術手技に至るまで多くを習得してきました。
その後、米国・コロンビア大学医学部に2年間留学し、白内障に対する薬物治療の可能性を探る研究に取り組みました。帰国後も研究を継続し、論文をまとめて医学博士号を取得しています。また、留学中には、失明には至らないものの視機能が著しく低下している方々への支援を行う「ロービジョンケア」についても学ぶ機会に恵まれ、視覚に障害を抱える方々のQOL向上を目指す医療の在り方を見つめ直す貴重な経験となりました。
帰国後に、漢方治療や糖尿病網膜症についての研鑽も積まれたそうですね。
はい。帰国後に勤務した北里大学北里研究所病院では、東洋医学総合研究所(現・北里大学研究所病院漢方鍼灸治療センター)が併設されていた関係で、一般的な眼科診療とは別に、漢方薬や鍼灸といった東洋医学についても深く学ぶことができました。
西洋医学とは異なる視点から体のバランスや体質にアプローチする東洋医学の知見は、現在の診療でも取り入れており、特に原因が明確でない慢性的な眼の不調などに対して有用だと実感しています。
その後、東京都中央済生会病院に勤務し、糖尿病網膜症を中心とした糖尿病の眼科的合併症について専門的に学びました。同院は“糖尿病診療のメッカ”と称されるほど実績豊富な病院で、内科や他診療科との連携を通じて、全身疾患の一部として眼を診るという視点を養うことができました。視機能を守るためには、眼だけでなく全身状態を見据えた診療が不可欠であり、ここでの経験も私の診療の大きな土台となっています。
1992年に開業されたとのことですが、そのきっかけについてお聞かせください。
幼い頃から、地域のために献身的に診療を続けていた父の姿をそばで見て育ちました。その影響もあり、「医師の真髄は開業医だ」という思いが、いつしか自分の中に根付いていたのだと思います。
実際、医師になってからも基礎研究に取り組んでいた時期もありましたが、研究よりも臨床の現場で、目の前の患者さんに全力で向き合うことに、より大きなやりがいと手応えを感じていました。開業という選択は、そうした想いの延長線上にあり、私にとってはごく自然な流れだったと感じています。

すでに30年以上、この場所で地域医療に携わっておられますが、診療内容等で変更されたことはありますか?
この地域でも高齢化が進んでいることを受けて、近年は通院が困難な患者さんのために往診を開始しました。高齢の方や足の不自由な方にも、これまでと変わらぬ眼科医療を届けたいという想いからです。
それ以外の診療方針は、開業当初から大きくは変わっていません。大学病院などで培った経験を活かして、「手術を含めた眼科全般の診療」、「漢方による診療」、「糖尿病網膜症の予防と治療」、「ロービジョンケア」を4本柱に、地域の患者さんの目の健康を支えるために、日々診療に取り組んでおります。