大学病院等の高度医療現場で産科・婦人科の研鑽を積み、50年以上守り続けてきた地域医療を継承
はじめに、鶴岡先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
うちは、曽祖父の代から続く医師の家系で、鶴岡家としては私で5代目。曽祖父が、自分の子どもらに遺した「医者になれ」という言葉を忠実に守って、父の兄弟、いとこは8人、みんな医師です。そういった環境で育ってきましたので、私自身も自然と医師を目指していましたが、実は、高校時代に別の道を想像したこともありまして…。でも、結局は本気になれるものがなく、「命を守る」という、ひたむきに取り組むことが求められる医師の仕事が、やっぱり私に合っているだろうとその道に進むことを決めました。大学時代は立派な動機を持ち、医学部に進学した同級生たちに対して、劣等感を持つこともありましたが、その分、しっかりと勉強して首席で卒業しています。
医院を継承されるまでのご経歴を教えてください。
千葉大学医学部、千葉大学大学院を卒業後、千葉大学医学部附属病院の産婦人科に入局し、主に周産期(妊産婦・胎児新生児)医療に携わってきました。地域の基幹病院ですので、ハイリスクの妊婦さんや胎児の診療、分娩後のケアや出血等の救急処置、出生前診断など幅広く研鑽を積んできました。さらに、船橋中央病院ではNICU(新生児集中治療室)で新生児科医として研修し、数多くちいさな赤ちゃんの治療にもあたってきました。また、大学院に進学し、博士号を取得しています。免疫の研究をメインとしている教室で研究した経験、仲間との関わりは、開業医として生活している現在でも大きな糧となっています。
周産期の高度医療に幅広く携わってこられた鶴岡先生が医院を継承されたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
私が医師になれたのは、父の医院に通ってくださる患者さんたちがいらしたからで、皆さんへの恩返しのためにも、いずれは父の医院を継ぐつもりでおりました。ただ、大学病院などでの高度医療に、非常にやりがいを感じていたので、継承の時期はもう少し後だと考えていたんです。ところが、父の健康の問題や、自分自身の家庭の事情など、大学病院などの激務をこなすのが難しいと感じることがいくつか重なったんです。地域の皆さんの命や健康を支えるのも大事な仕事ですから、想定より早めに代替わりをしました。まあ、結局は、同じぐらい忙しく働いていますけど…(笑)。
2020年3月まで、千葉大学医学部附属病院にも勤務されていたそうですね。
はい、週1回外来を受け持っていました。現在は、千葉大学看護学部の非常勤講師を拝命して、助産師・看護師の育成をお手伝いしています。
当院については、現在、私が院長としてメインで診療に携わり、父の鶴岡信博名誉院長や非常勤の先生方にサポートしてもらっています。