自身も苦しんだ皮膚病を治したいとの想いから医師を志す。大学病院や基幹病院で幅広い皮膚疾患の診療で研鑽を積み、クリニックを開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

子どもの頃はアトピー性皮膚炎に悩まされていて、皮膚科に通う日々でした。いつも肌がガサガサでしたから、からかわれることもありましたし、かゆみとの闘いでつらい思いもしました。そうした体験があったので、将来を考えたときに「自分が苦しめられてきた皮膚の病気を治したい」という思いから医師を目指しました。
貴院を開業されるまでのご経歴を教えてください。
広島大学医学部を卒業後、同大学病院の皮膚科に入局しました。広島大学病院や基幹病院での研修後は、広島県内の関連病院をまわり、重症のアトピー性皮膚炎や乾癬、膠原病、皮膚の悪性リンパ腫など、高度医療や入院治療が必要な重症患者さんを中心に皮膚疾患全般を診療してきました。治療においては、そのときの最新の診療ガイドラインに沿うだけでなく、必要に応じて海外の診療ガイドラインなども参照し、患者さんにとって最善の医療を目指し研鑽を重ねてきたと自負しています。
東京の虎の門病院にも勤務されていますね。
はい。大変幸運な巡り合わせだったのですが、国内の皮膚がんの手術やレーザー治療などで数々の功績を持つ大原國章先生が広島に来られた際、当時の教授を通して虎の門病院で学ぶ機会をいただき、2年間診療に携わりました。大原先生のもとで、悪性黒色腫(メラノーマ)やパジェット病など多種多様な皮膚がんの手術手技から、あざやしみ、血管腫などのレーザー治療、診断・治療に至るまでのプロセス、診療に臨む姿勢まで、広く深く学ばせていただきました。いま思い返しても、本当に貴重で得難い経験だったと感じています。
栁瀬先生は、乾癬の全身療法で県内随一の実績をお持ちだと伺いました。
2014年にJA尾道総合病院に赴任した後、広島市立安佐市民病院、北部医療センター安佐市民病院に勤務しながら、開業までの約10年間、生物学的製剤を中心とした乾癬の全身療法に力を注いできました。
乾癬は難治性の皮膚疾患ですが、2010年に生物学的製剤(注射薬)の適用が乾癬治療にも拡大され、関節炎などの合併症予防も含めてコントロールが目指せるようになりました。私は乾癬治療の黎明期から多くの症例に携わり、効果が期待できそうな治療法を積極的に採り入れて患者さんに合わせたテーラーメイドの診療を積み重ねてきました。その結果として、私が手掛けてきた乾癬治療や論文を評価され、現在も全国の学会などで講演する機会をいただけているのだと思います。
高度医療機関の第一線で活躍されていた先生が開業を決められたのには、どのような想いがあったのでしょうか?
大きな病院に勤め続けるという道もありますが、私の周囲では、要職に就かれていた先生でもあるときを境に開業医に転身されます。その様子を若手の頃から見ていましたので、いずれ自分も開業するものだと自然と考えるようになっていました。乾癬治療をはじめ、これまで培ってきた手術手技や診療技術を地域医療に役立てたいという想いで、多くの方が受診しやすいこの場所に、2023年4月に「紙屋町やなせ皮ふ科クリニック」を開院しました。
