全人的医療に興味を持ち総合診療医に。小児科や救急医療、心療内科、訪問診療と幅広い臨床経験をベースに開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
医師を目指すきっかけになったのは、医療マンガの「ブラック・ジャック」です。幼い頃に「ドラえもん」を読んで科学に惹かれ、理系に進むことは決めていたのですが、いざ進学にあたって理系で何を目指そうかと考えていたときに「ブラック・ジャック」を読んで医の倫理や日本人の死生観を知り、医学に興味を持ちました。
木村先生は、異色のご経歴をお持ちだそうですね。
医学部に進学する前に防衛大学校に入学しています。防衛大学校での身分は、学生でありながら特別国家公務員でもあります。19歳から23歳まで自衛官として社会経験を積み、退職後は学習塾の講師をしながら医学部を目指しました。人生は一度きりですから、自分のやりたいことを諦めたら、きっと後悔します。夢を叶えるために懸命に勉学に励む若い塾生たちを目の前にして、改めてそのことを実感し、28歳のときに鳥取大学医学部に学士編入しました。
鳥取大学医学部を卒業後は、広島大学病院の総合内科・総合診療科に入局されたそうですが、同科を専門とされた理由を教えてください。
今の医療は、臓器別に専門が分かれていますが、私は、特定の臓器よりも人間そのものへの興味のほうが強かったんです。ちょうどその頃、臓器や疾患にかかわらず全科目を横断的に診療する「総合診療科」が広島大学病院にも創設され、その役割や意義にとても共感しました。総合内科・総合診療科の医局の先生に熱心にお誘いいただいたこともあって、私の専門とし、全人的医療を追求していこうと決めました。
これまでのご経歴と、携わってこられた主な疾患や症例について教えてください。
総合内科・総合診療科というのは、いわゆる“なんでも屋”ですから、科目をまたいで総合的に幅広く診療します。特に、私が勤務していた広島大学病院やJA広島総合病院などの基幹病院では、内科全般はもとより救急医療も含めて幅広く診療し、小さなお子さんからお年寄りまで、さまざまな疾患の診断や治療に携わってきました。
また、私が医師になりたての頃は、総合診療の専門医資格がまだなかったものですから、関連する家庭医療医の専門資格※を取るために、小児科や訪問診療、整形外科でも研鑽を積みました。その後、かねてから興味のあった心療内科を学ぶために約1年間上京し、訪問診療に携わりながら、国内留学のかたちで神奈川県の信愛クリニック(当時)の井手広幸先生に師事しました。
※日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医
災害復興医療で福島県に出向され、広島大学では教壇にも立たれていたそうですね。
はい、東日本大震災の原発事故で被災した福島県双葉地域に設立された「ふたば救急総合医療支援センター」への医療支援に約3か月間従事し、帰還住民のための医療整備に尽力しました。帰任後は広島大学で、僻地に赴任する医学生に「地域医療学」を教えながら、私自身も臨床研究に取り組み、日本国内の医師・歯科医師の偏在分布をテーマに博士号を取得しました。
総合診療医として現場の第一線で活躍され、後進の育成にも取り組んできた木村先生が、開業医に転身されたのには何か理由があるのでしょうか?
当初は開業医になることは考えていませんでした。しかし、医師としてキャリアを積む中で、私なりの医療を追求したいという気持ちが膨らんできたことが大きな理由でしょうか。これまで私が研鑽を積んできた知見を還元しながら、ライフワークとして地域医療に貢献していきたいとの想いから、2024年11月に開業しました。