腎臓内科医として幅広い経験を積んだ後、地域のクリニックを受け継ぎ開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

父親や従兄が理工系の技術職でしたが、若さゆえに敢えて違った道に進んでみたいという思いや、純粋な好奇心から医学部を志望しました。今になって理工系にも憧れはありますが、医師は学んだことが仕事につながり、さらに得た知識が日常生活でも役に立つ実学であり、よい選択であったと思っています。
広島大学医学部を卒業後、研修を経て広島大学病院の腎臓内科に入局されました。腎臓内科を選ばれたのはどのような理由があったのでしょうか?
はじめはいわゆる難病に取り組んでみたいと思い、膠原病・リウマチ診療に興味を持っていたのですが、当時の広島大学の内科には独立した講座がありませんでした(それから数年後の2009年に広島大学病院リウマチ・膠原病科が開設されました)。膠原病のなかには腎合併症を生じるものも多く、当時膠原病を多く診療していた腎臓内科を専攻しました。また、臨床研修医だったころの大学病院の指導スタッフ(現在も皆さんが立派なポジションで活躍されています)が優秀だと感じたことも大きいと思います。
どのような疾患を多く診てこられたのでしょうか?
広島大学病院のほか、県立広島病院、JA尾道総合病院、広島赤十字原爆病院、呉共済病院、JA広島総合病院、安芸市民病院など、県内の大~中規模の病院に異動をしながら多くの患者さんを診療しました。腎臓内科は救命救急や高度先端医療などに直接関わる華々しい診療科ではありませんが、内科医でも難しい進行腎臓病のマネジメントから、心血管病や感染症など急性合併症まで広い領域を診療します。複数の合併症を抱えている方を他科の医師や多職種の力を借りて根気強く診療していく必要があり、ワンマンにならず周囲との協調性も身についたのではないかと思います。
とくに深く学んでこられた領域はありますか?
医師は生涯勉強とはよく言ったもので、おおむね医師として一人前になった30歳頃に大学院博士課程に入学します。私は博士課程において実験動物に食塩を与えて高血圧の研究を行いました。修了までに人一倍時間がかかったのですが、改めて高血圧について勉強し、広島でもまだ少ない日本高血圧学会専門医の資格を取得しました。
また、この時期は今後の医師としての在り方も問い直す期間でもありました。ちょうどこの頃、NHKの「総合診療医ドクターG」で、総合診療医や家庭医療という概念が広島でも知られるようになった時期でもあり、高次病院で専門診療を行うことも尊い仕事ですが、疾患単位でなく家族・世帯単位で診療することも手掛けてみたいと思っていました。
そして、2025年5月に「うした東内科クリニック」を開院されました。どのような想いで開業を決意されたのでしょうか?
きっかけは、知人を介して「こだまクリニック」の児玉晄子先生からお声がけいただいたことです。こだまクリニックは内科・外科・小児科として長年地域に貢献してこられましたが、児玉先生の勇退にあたり高齢化した患者さんを引き受ける後任の内科医を探されていました。牛田エリアはなじみもありましたし、幅広い世代が住む活気のある地域であり、思い切って手を挙げました。
これまでの病院勤務では、重症・ハイリスクの患者さんを対象として病気のライフコースにおける中継ぎ投手の役割が中心でした。今後は予防医療から在宅医療やお看取りなど、いわば先発投手からクローザーを含めた役割に取り組んでいきたいと思っています。

