西洋医学と東洋医学の両方を学んだ後、内科医の道へ。幅広い疾患の治療経験を積み、地元の広島で開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

もともと医学に興味はなく、物理学の方面に進みたいなと考えていたんです。その気持ちが変わったのは、1970年代に米国や日本で起こった鍼麻酔ブームでした。
1971年、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が、米中国交正常化への道筋を付けるために極秘訪中していた時期に、同じく訪中していたニューヨークタイムズ誌の記者ジェームス・レストンが虫垂炎を発症。緊急手術後の疼痛緩和に鍼治療が使用され、その効果に感銘を受けたレストンがその実体験を記事にしたことで、針治療が米国で広く知られるようになりました。また、日本においても日中国交回復後、中国医師団を招聘し、鍼麻酔の学術交流が行われたことで鍼灸・東洋医学ブームが巻き起こりました。それが、ちょうど高校3年生のときで、西洋医学とは異なる未知の医学にものすごく惹かれ、はじめは鍼灸を専門に学ぶために今の明治国際医療大学に進学したんです。
針治療の技術を習得し、卒業後には鍼灸師として勤務していましたが、だんだんと、患者さんのためには鍼灸だけでなく、東洋医学や西洋医学についても広く学び、知見を深める必要があると感じるようになりました。
そこで、国立大学で初めて和漢診療室が設立された富山医科薬科大学(現・富山大学)に再入学されたのですね。

はい。和漢診療学とは、和漢薬・漢方薬に関する診療や研究を扱う学問領域ですが、富山医科薬科大学建学の理念は「東西医学の融合」で、東洋医学と西洋医学を融合した全人的医療ができる人材育成に力を注いでいました。実際に在学中は東洋医学、西洋医学の双方を学び、卒業後は同大学附属病院の内科に所属しました。ここでは、一般的な内科疾患から、循環器疾患、不整脈、心不全、肝硬変や肝臓がんなどの肝疾患、潰瘍性大腸炎やクローン病などの炎症性腸疾患、白血病をはじめとする血液疾患まで、さまざまな疾患の治療に携わり経験を積みました。
その後、富山赤十字病院の消化器内科に勤務し、消化器疾患の診療をメインに、内視鏡検査・治療の技術を磨きました。さらに、同病院は救急指定病院でしたので、当番医としてあらゆる患者さんの救急対応に当たることも多く、呼吸器や肝胆膵の疾患、糖尿病など幅広い病気の診療にも携わってきました。「糖尿病は膵臓病と思っているが、実際は肝臓病で消化器の病気」と教わって30年以上経過しました。糖尿病のゲームチェンジャ-と言われる新しい“マンジャロ”という薬は小腸のホルモンから作られています。30年以上前の教えが、今よみがえっているところです。
その頃からクリニックの開業を考えていらっしゃったのでしょうか。
はい。私は医師になった当初から「いずれは開業して地域医療に貢献していきたい」と考えておりましたので、富山医科薬科大学附属病院に戻り研鑽を重ねた後、近畿圏の病院勤務を経て、老人病院で副院長を務めるなど、さまざまな病院で初診患者さんを積極的に診ておりました。というのも地域のかかりつけ医は、身体に違和感を覚えた患者さんが最初に診療を受ける医師であるため、疾病のより初期の診断が求められるからです。健康上の問題や疾病に対し、総合的・継続的、そして全人的に対応する地域の保健医療福祉機能(プライマリ・ケア)を意識しながら開業に向けて知見を深め、2001年8月、地元である広島の地で開業するに至ります。

