野口英世に憧れて医師の道へ。大学病院で長年にわたり臨床と研究に従事
先生が医師を志したきっかけからお聞かせください。
幼少期に出会った医師への憧れと、少年時代に読んだ「野口英世の伝記」がきっかけになったように思います。幼いころの私は、体調を崩すたび母に連れられ、近所の小児科医院のお世話になっていました。その医院の先生はとても穏やかで、いつでもていねいな診察をしてくださり、母も私も安心できたのを覚えています。当時の私は、単純にその先生のいでたち、つまり「白衣に身を包み・聴診器を首から下げ・笑顔で迎えてくれる姿」に憧れの気持ちを抱いていました。
その後、偉人伝を読んで野口英世の生きざまを知った私は感動し「自分も彼のようにたくさんの努力をして、世の役に立つ人間になりたい」と医師の道に進むことを決めました。
ご経歴としては、広島大学医学部附属病院にて長くご活躍されています。
島根医科大学を卒業後に地元に戻り、1985年に広島大学医学部小児科学教室(当時)に入局しました。大学病院だけでなく関連病院にも勤務しながら臨床と研究に携わり、小児科を専門に研鑽を積む毎日でした。
2010年にこのクリニックを開業しましたので、勤務医として過ごした期間は約25年間です。その過程で「小児科のある県内の関連病院はすべて回ったことがある」というのが自慢です。また、1996年からの約3年間は、サウスカロライナ医科大学小児科への研究留学も経験しています。
大学病院では、どのような疾患の治療や研究をご専門にされていたのですか?
広島大学病院小児科は、県内唯一の大学病院として全ての専門外来を有するだけでなく、中国・四国地区における「小児がん拠点病院」として、先進的治療の提供や患者さんとその家族に対する支援を担っています。その中で私は「血液・腫瘍グループ」に所属し、血液のがんである小児白血病の治療と研究に取り組んできました。他にもリンパ腫、脳腫瘍、神経芽腫、腎芽腫といった腫瘍性の小児のがんの治療にも関わりました。
小児白血病については、近年にかけてめざましい医療技術の発達があり、化学療法や造血幹細胞移植といったさまざまな治療法が確立されるに至りました。しかし、私が入局した当時は、小児白血病への骨髄移植もまだ国内では行なわれておらず、たいへん厳しい治癒率の時代でした。
免疫機能が極端に低下してしまう白血病との戦いは「感染症との戦い」といっても過言ではありません。ですから私も「子どもたちを感染症からいかに守るか」ということについて、深く学び、取り組んできたということになります。
クリニックを開業された経緯はどういったものでしょうか?
私と同じような経歴を持った先輩が先に開業されていて、その先輩や周囲の人々から強く勧められたことが直接のきっかけですね。もともと私自身はあまり開業医をイメージしておらず、勤務医を続けるつもりでいたのです。しかし、開業後はより積極的に地域医療に貢献できているという実感があり、今では思い切って開業して本当によかったと思います。
先ほど、医師を目指したきっかけの話のところで「幼いころの私が憧れた先生の姿」を紹介しましたが、今の私はまさにそのいでたち「白衣に身を包み・聴診器を首から下げ・子どもたちを笑顔で迎える」そんなお医者さんです。そういう意味では、初心を貫いた私の姿が今ここにあると言ってもよさそうですね(笑)。