大学病院や総合病院での多様な臨床経験を経て、父の医院を継承
はじめに、医師を志したきっかけを教えてください。

私が10歳のときに父が「藤田皮膚科医院」を開業しました。医院の上階が自宅だったため、父の働く姿を間近で見ながら育ちました。兄弟3人のうち誰かに継いでもらいたいという両親の希望もあり、それぞれ別の道を選ぶ中で、自然と私が医師を目指すようになったのだと思います。進路に悩んだ時期もありましたが、鳥取大学医学部に進学しました。
医学部卒業後に麻酔科に進まれた理由をお聞かせください。
当時は、今のようなスーパーローテート方式ではなく、卒業後すぐに専門科に入るのが一般的でした。私は皮膚科を志す前に、できるだけ幅広い診療科の知見を得たいと考え、麻酔科に入局しました。手術の麻酔管理を中心に、全身管理や救急外来での感染症から骨折などの外傷まで幅広い診療を経験し、他科との連携も学びました。
この時期に身につけた、全身の幅広い知識や診察技術は、皮膚科医となった現在でも活かされています。たとえば帯状疱疹の痛みがどの神経に由来するかを判断し、ペインクリニックなどの適切な治療へつなげることができます。麻酔科での3年間を経て、1999年に岡山大学病院の皮膚科へ入局しました。
皮膚科ではどのような経験を積まれましたか?
大学病院では、悪性腫瘍の手術や薬物治療のほか、希少疾患の診療も多く担当しました。特に印象深いのは、「カサバッハ・メリット症候群」という血管腫の小児患者さんです。肩が大きく盛り上がるほどの重症例で、命に関わると判断してさまざまな治療を行った結果、無事に回復しました。この経験を通して、色素レーザー(ダイレーザー)が血管腫に有効であることを知り、乳児の初期病変を逃さないように、当院にも導入しました。
その後、岡山市民病院や呉共済病院、岡山市民病院などで、皮膚疾患全般に広く対応しました。さらに岡山労災病院でも診療に従事しつつ、看護学校での講義や後進の指導にもあたりました。また、岡山大学大学院の社会人大学院生として、皮膚リンパ腫に関する研究で学位も取得しています。
2014年に医院を継承されたのですね。
大学院修了を機に岡山労災病院を退職し、藤田皮膚科医院を継承しました。父は院長職を退いた後も診療を続け、生涯を地域医療に捧げました。私自身も共に働けたことで、少しは親孝行できたのではないかと思います。2019年には医院をバリアフリー設計で新築し、現在の診療体制となっています。

