培ってきた内視鏡技術、豊富ながん治療経験を地域医療に役立てようと開業を決意
はじめに、先生が医師を志したきっかけを教えてください。
祖父は歯科、父が内科の開業医でした。私が幼い頃には祖父の歯科医院は閉院していましたが、その診療室だった場所は私の勉強部屋にあてがわれていて、いつも歯医者特有の匂いがする中で勉学に励んでいました。父は勤務医で、私が小学4年の時に開業し、日々地域医療や医師会活動に取り組んでいる姿を見ていました。また、私は1500gで生まれた未熟児、今で言う「極低出生体重児」でした。それが理由かはわかりませんが、子どもの頃から病弱で、よく病院のお世話になっていたんです。
こうした影響からか自然と医療に携わる職業に進みたいと思うようになっていました。歯科医師を志した時期もありましたが、最終的には医科の医師なることを決め、和歌山県立医科大学医学部へ進学しました。
消化器外科を専攻にされたのはどうしてでしょうか?
お話しした通り、子ども時代は病弱でしたので、よく学校を休んで家でプラモデルを作っていたんです。そのおかげか細かい作業が好きで得意でもありましたので、医師になるなら外科に進みたいなと漠然と思っていました。また、内科は症状や検査結果などから判断する診断学ですが、外科は処置が中心となる治療学です。純粋に治療学に携わりたいと考えたことも外科系に進んだ理由の一つですね。
そして、外科の中でも消化器外科を専攻にしたのは、食道から胃・小腸・大腸・肛門、肝臓や膵臓までと対応する臓器の範囲が広いこと、それに伴い患者さんの数も多くさまざまな症例に携われることにやりがいを感じたことが大きいですね。
和歌山県立医科大学卒業後は同大学病院の消化器外科に入局し、胃がんや食道がん、大腸がんといった「がん治療」を中心にさまざまな消化器疾患の症例に携わったほか、大学院でがんの免疫療法についての基礎研究にも従事してきています。
がん治療では、手術をメインに行ってきたのでしょうか?
都会の大学病院とは違い、和歌山県下の病院では外科の医師であっても手術だけでなく、一般的には内科で行われる抗がん剤治療や放射線治療、内視鏡治療、緩和医療まで幅広く診る必要があり、がんに特化したさまざまな段階の医療に携わってきました。手術においては、主流が、開腹手術から患者さんの身体への負担が少なくてすむ低侵襲手術に変わる過渡期でありましたので、開腹手術はもちろん、腹腔鏡下手術も数多く経験、研鑽を重ねています。
また、内視鏡(胃カメラや大腸カメラ)を使って良性のポリープや早期のがんなどを切除する内視鏡的治療術についても、その道に精通した先輩医師のもとでじっくり学ばせていただく機会がありました。多くの治療経験を積むことができ、おかげ様で、質の高い内視鏡技術を得られたと自負しております。
消化器外科医として第一線で活躍されてきた先生が、茨木市で開業を決めたのにはどんな理由があったのでしょうか?
大学病院や基幹病院で18年にわたり消化器外科医としてのキャリアを積んできたのですが、徐々に自分の理想とする医療と自分の裁量で働くことを考えるようになり、開業を決意しました。茨木市は母方の祖父母がかつて薬局と文具店を営んでいた場所で、私自身も子どもの頃にはよく遊びに来ており、第二の故郷です。亡き母が生前「いずれはこの地で開業しなさい」とよく言っていました。
消化器外科医としてやりがいのある充実した日々を送っていましたので、病院勤務を辞めてしまうことに葛藤もありましたが、肛門外科、小外科、内視鏡治療やがん患者さんのサポートなどは開業医であっても続けられると、2016年、ここでの開業に踏み切りました。