「生物学」への情熱から医師の道へ。大学病院で高度先進医療に携わってきた皮膚科のエキスパートが、前医院の地盤を引き継いで新たに開業
はじめに、中川先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

生物学への興味から、高校卒業後は名古屋大学理学部に進学しました。そこで蝶に関する遺伝子研究に携わることになりましたが、次第にその研究が自分の性に合っていないなと感じるようになったんです。では、好きな生物学で情熱を持って取り組めるものは何だろうと考えて行き着いたのが、いちばん身近な自分たち人間だなと。医師という職業はまさに人間と向き合う仕事であり、また父や兄も医師免許を持ちつつ医療分野で活躍していることから、自然と医師という道に惹かれるようになりました。そして、医師を目指して島根大学医学部に入学しなおしました。
皮膚科を専門とされたのは、どのような理由からでしょうか?
医学部卒業後、益田赤十字病院で2年間の初期研修を受けました。そのうち3か月間は島根大学医学部附属病院で研修する機会があり、そこで学生時代に大変お世話になった森田栄伸教授(当時、皮膚科学教室)や千貫祐子准教授から皮膚科を勧められたことが、進路を考える上で大きな転機となりました。
一方で、益田赤十字病院での研修中、消化器内科を回った際に岡本栄祐先生から超音波(エコー)検査の技術を熱心に指導していただき、そのおもしろさに惹かれていったのも事実です。消化器内科を専攻する道も考えましたが、隠岐マラソンを一緒に走るなど親しくさせていただいた森田教授や千貫先生とのご縁を大切にしたいという思いが強まりました。尊敬する先生方が情熱を注ぐ皮膚科学の奥深さに触れ、自分もこの分野を深く学びたいと考えるようになり、最終的に皮膚科を専門とする道を選びました。
皮膚科医としてどのような疾患を診療されてきたのか、開業までのご経歴を教えてください。
入局後は、島根大学医学部附属病院の皮膚科に勤務し、手術を含む皮膚疾患全般の診療に携わりました。アトピー性皮膚炎や乾癬といった一般的な疾患はもちろん、自己免疫性水疱症や先天性皮膚疾患、皮膚悪性腫瘍など、高度先進医療機関での専門的な治療が求められる難治性疾患にも数多く対応してきました。
2015年には助教を拝命し、その後、医局関連の出雲徳洲会病院皮膚科での勤務を経て、再び島根大学医学部附属病院に戻ってからは病棟医長として診療にあたるとともに、後進の指導にも力を注いできました。
医学博士の学位を取られていますが、どのような研究をされたのでしょうか。
数ある皮膚疾患の中でも、特に得意とするのは尋常性乾癬やアレルギー、じんましんの分野です。その専門性を深めるため、学位取得にあたっては「マダニ咬傷と牛肉アレルギー発症の関連」について研究を行いました。簡単に言えば、「マダニに噛まれることで牛肉アレルギーを発症しやすくなる」という内容であり、最終的にはマダニに繰り返し噛まれないよう注意することが重要だという結論に至っています。
大学病院で最先端の医療に従事し、病棟医長という重責も担ってきた中川先生が開業医となったのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
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私はどちらかというと、強い意志を持って突き進むタイプというより、その時々の環境に影響を受けやすい性格なんです(笑)。開業を決めたのも、まさにそうした流れの中でのことでした。きっかけとなったのは、2022年の森田栄伸教授(当時)の退官という大きな環境の変化です。
大学病院での勤務が長くなり、「皮膚科医として一人前になれた」という自信もついていましたので、恩師が医局を退かれるタイミングで、自分も新たなステージへ進みたいと考えるようになったんです。ちょうどその頃、当院の前身である山田皮膚科医院の山田義貴先生が引退されることになり、クリニックの地盤を引き継いで新たに開業しないかと打診をいただき、2024年2月、同じ場所で「小山皮膚科クリニック」を開業しました。