人のために、昼夜問わず駆け回っていた父の背中を追いかけて医院を継承
はじめに、永嶋先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
父が外科医で、1959年(昭和34年)にこの場所に開業してから、長年、地域医療に携わってきました。私が子どもの頃は、交通事故が多く、お祭りの時など喧嘩もしょっちゅうあり、それこそ朝から晩まで血まみれの人が父のところに来ては、手当てを受けていたんです。それに、不審死などの方が見つかると、警察から連絡があり、夜中でも検死に駆り出されていました。
地域の人たちの診療だけでなく、昼夜問わず医師として駆け回っている父の姿を見ているうちに、「父のように人を助ける仕事、人のために役に立つ仕事がしたい」と思うようになり、医師になることを決めました。
外科を専攻されたのも、お父様の影響が大きかったのでしょうか?
そうですね。幼かった頃には、父が行うケガの縫合とか虫垂炎の手術とか、外科処置の様子を目の前で見ていましたから、自分もそんなふうになりたいなとなんとなく思っていましたね。
久留米大学医学部に進み、第二外科(消化器外科)の「肝胆膵グループ」という、主に肝臓、胆嚢、膵臓の悪性腫瘍(がん)や胆石、膵炎などの疾患に携わる部門に所属しました。そこからは、福岡県を中心に官公立病院などの基幹病院に勤務して、腹部血管造影検査に携わりながら、肝臓がんや胆管がん、膵臓がん、胃がんや大腸がんも含めた消化器全般のがんの検査、手術など、消化器疾患の診療に研鑽を重ねてきました。手術に関しては、私が消化器外科医になったばかりのときに腹腔鏡(内視鏡の一種)による胆嚢摘出手術(ラパコレ)が始まり、開腹手術から腹腔鏡手術に移行していく時期でしたので、新しい手技も含めて、多くの経験を積ませてもらいました。
外科医として第一線でメスを奮っていた永嶋先生が、ご実家の医院に戻られたきっかけはどういったことでしたか?
一人で医院を運営してきた父が、加齢に伴って体調不良を訴えるようになりまして、私が腹部触診をしたら腹部大動脈瘤が見つかり、そこから次から次へといろんな病気を患うようになってしまったんです。2004年、医院継承を見据えてここに戻り、最初の1年間くらいは父と一緒に診療していました。結局、私が戻ってから4年ほど経った2008年に父が亡くなり、医院を継承しました。
シンプルモダンなとても洗練された雰囲気の外観ですね。内装も木がふんだんに使われていて、温かな空間を感じられます。
ありがとうございます。父が開院してから50年近く経っていましたので、私が医院を引き継いだときに、いったん更地にして建て替えました。そのときに、土地の有効活用ということで1階を駐車場にして、2階を診察室にしたらどうかというアドバイスをいただいたんですが、それは違うなと……。ご高齢の方もできるだけラクに出入りできなるようにしたかったのです。宮大工さんに来て頂き、天井をかなり高くして、木もふんだんに使いました。患者さんにもゆったりした温かみのある空間を感じてもらえれば嬉しいですね。