幼少期の通院経験で芽生えた「人の役に立ちたい」という想いを胸に、消化器内科の道へ。肝疾患治療で積んだキャリアを地域医療に活かしたいと開業医に
はじめに、医師を志したきっかけと、消化器内科を専攻された理由をお聞かせください。

特別に大きな出来事があったわけではありませんが、子どもの頃に風邪を引いた時や、腕を骨折した時にお医者さんにお世話になった経験が大きいと思います。命に関わるほどの大病ではありませんでしたが、「お医者さんのおかげで助かった」と実感したのが最初のきっかけです。高校生になり具体的に将来について考えるなかで、「人の役に立つ仕事がしたい、長く社会に貢献できる仕事をしたい」と考え、医師になる決意を固めました。
富山大学医学部に進み、卒業後は群馬大学医学部附属病院の第一内科に入局しました。当時、第一内科には消化管に特化したグループと肝臓に特化したグループの2つがあり、私は主に肝臓に特化したグループで研修を積みました。医学部に入学した時から内科を志望していましたが、なかでも消化器内科を専門にしたいと思うようになったのは、手技が多く、自分の手で直接患者さんの治療に貢献できる点に魅力を感じたからです。
勤務医時代はどのような症例を多く診てこられたのでしょうか?
群馬大学医学部附属病院第一内科で研修を積んだ後、桐生厚生総合病院、前橋赤十字病院、済生会前橋病院など県内の基幹病院にて、肝臓がん、肝硬変、B型肝炎、C型肝炎などの肝臓領域を中心に、胃十二指腸潰瘍、食道静脈瘤、消化管癌、胆道癌・膵癌など、さまざまな消化器疾患について幅広く診療経験を積み、研鑽を重ねました。
特に多かったのがC型肝炎やB型肝炎の患者さんです。当時はまだ今のように十分な治療法が確立されておらず、肝炎から肝硬変、肝臓がんへと進行していく患者さんが多く、亡くなられる方もたくさんいらっしゃいました。そんな状況を目の当たりにし、自分にできることはないかという思いから、肝臓の治療をメインに行うようになりました。
肝臓がんの治療では、例えばカテーテル使った治療などを多く手掛けていました。また、肝硬変に合併して発生する食道静脈瘤が破裂すると命に関わるため、内視鏡を用いた止血治療なども数多く行いましたね。群馬大学医学部大学院では、肝硬変の治療をテーマとした研究に取り組み、医学博士号を取得しています。
平成の後期には、C型肝炎に対する抗ウイルス薬が登場し、多くの患者さんが完治を目指せるようになりました。B型肝炎についても、ウイルスの増殖を抑える薬の使用によって、肝炎の進行や肝硬変・肝がんへの移行を抑制できるようになっています。こうした治療の進歩を臨床の現場で直接体感できたことは、消化器内科医として大きな喜びでした。
その後、2017年に前身である「山王医院」を継承するに至った経緯を伺えますか?
子どもの頃にお世話になった開業医の先生のイメージが強く残っていて、いつかは開業医になり、地域に密着して患者さんの健康を長期的に支える医療を提供したいと考えていました。
病院勤務では、専門的な治療に携わることができるやりがいがある一方で、ある程度病気の治療が終わると、その後のフォローはかかりつけの開業医にお任せすることが多く、最後まで患者さんに寄り添えないことにジレンマを感じるようになりました。また、肝炎の治療が進歩し、肝臓に特化した診療も自分の中ではやりきったという思いもありました。そうしたタイミングで、縁あって「山王医院」を継承することとなり、「大山クリニック」と名称変更して開業しました。
