循環器内科から消化器内科、腎臓内科まで、内科全般に精通したベテラン開業医が、親子2代にわたり、70年近く地域医療を守り続ける
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

父が消化器内科医、母が眼科医で、両親ともに医師という家庭で育ちました。私が子どもの頃の札幌は今ほど医師の数が多くなく、両親は日々、地域のために献身的な診療を続けていました。雪深い季節には、父が馬そりで急病の患者さんを迎えに行ったこともありましたし、母は「病状が良くなって笑顔を見せてくれる患者さんに会えるのが一番嬉しい」と、よく話してくれました。
そんな両親の姿を幼い頃から見て育つうちに、自然と「自分も人の役に立てる医師になりたい」という想いが芽生えたのだと思います。
野沢先生は循環器がご専門ですが、どのような理由で専攻されたのでしょうか?
私が医学部を卒業した当時は、まさに循環器診療が大きく発展し始めた時期でした。欧米から次々と革新的な診断技術や治療法が導入され、それまで治療が困難とされていた心疾患の予後が飛躍的に改善されていったのです。そうした最前線の医療の中で、自らの技術を磨きながら患者さんの命を支えるという手応えに強く魅了され、循環器を専門として歩むことを決めました。
貴院に入職されるまでのご経歴を教えてください。
日本大学医学部を卒業後、駿河台日本大学病院(当時)の循環器科に入局しました。その後、臨床研修を経て、大阪の国立循環器病センター(現・国立循環器病研究センター)に赴任。不整脈、心筋梗塞、心不全、心臓弁膜症などの循環器疾患に対する心臓カテーテル検査・治療や、心エコー(心臓超音波)検査などを通じて、専門的な診療技術を磨きました。
当時は、内科系全体の夜間当直を若手医師数名で担当していたこともあり、救急疾患や脳卒中を含む内科全般に幅広く対応していました。同センターは設立から間もない時期で、私はその二期生として在籍。全国から集まった優秀な循環器の専門医たちと刺激し合いながら研鑽を積んだのを今でも思い出します。
米国の病院に留学されたご経験もあるそうですね。
はい。日本大学大学院で学位を取得した後、アメリカ合衆国退役軍人省(VA)が運営する「VAメディカルセンター」に留学し、約3年間、高血圧に関する基礎研究に従事しました。
帰国後は、駿河台日本大学病院(当時)に復帰し、私の希望で国立がん研究センター中央病院の中央検査室に赴任しました。そこでは、消化器内視鏡検査や腹部超音波検査など、主に消化器領域における検査・診断技術を学び、実践的な経験を積むことができました。
その後、当時の日本大学医学部附属光が丘病院に赴任し、最終的に札幌に戻って、実家の医院を継承しました。
1990年に生まれ故郷の北海道に戻り、貴院に入職されたそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
医院を継承するにあたって、地域の皆さんの医療ニーズに幅広く応えたいと考えていましたので、循環器だけでなく、内科、消化器、腎臓内科と幅広く診療に携わり、循環器専門医※1とともに腎臓専門医※2の資格も取得して戻ってきました。
※1 日本循環器学会循環器専門医 ※2 日本腎臓学会腎臓専門医
