代々受け継がれてきた地域医療の担い手として開業医に。歯科医の免許も持つ耳鼻咽喉科医として境界領域疾患に取り組む
首藤先生は、歯科医師でもあるそうですが、医師免許を取得したきっかけや経緯をお聞かせください。
曽祖父と祖父が内科医、父が歯科医という、代々医療人の家庭で育ったものですから、私も自然と医療の道を目指していました。最初は、歯科で開業していた父の跡を継ごうと、九州歯科大学歯学部に進みました。ただ、肝臓癌で亡くなった祖父の遺言でもある「医師になれ」という言葉はいつも心の中にありました。歯科医学を学ぶにつれ、同じひとりの人間であるのに、こと顎顔面領域においては「医科」と「歯科」に分断されている矛盾を感じ、「自分は歯科医師としても、医師としても人の役に立ちたい」と考えるようになりました。
私の良き理解者でもある両親の後押しもあって、歯学部を卒業後、歯科医として父のクリニックで働きながら予備校に通い、東海大学医学部に学士編入して、1999年に医師免許を取得しました。
耳鼻咽喉科を専門とされたのは、どのような理由からですか?
口腔と耳、鼻、ノドは隣接しています。ところが、口腔は歯科、耳、鼻、ノドは耳鼻咽喉科と診療科が分かれているために、2つの診療科にまたがる、いわゆる「医科と歯科の境界領域」と呼ばれる病気は発見が遅れたり、患者さんとしてもどちらの科に受診したらよいかわからない状況が生まれやすいのです。
たとえば、虫歯や歯周病の細菌が原因で起こる「歯性上顎洞炎(副鼻腔炎の一種)」は、境界領域疾患の一つです。患者さんの自覚症状としては、頬の違和感、鼻水や鼻詰まりといった副鼻腔炎の症状ですが、原因は口の中にあるので、耳鼻咽喉科だけでは根本的な解決には至らず、歯科と連携した治療が必要になります。
このように、口腔内の病気が耳鼻咽喉科の病気を引き起こしたり、逆に、耳鼻咽喉科の病気によって口腔内にトラブルが起きたりすることは少なくありません。これら境界領域疾患をダブルライセンスである私が診療できれば、より多くの患者さんの役に立てるのではないか、と考えたことが耳鼻咽喉科を専攻した大きな理由です。
耳鼻咽喉科を開業されるまでのご経歴を教えてください。
東海大学医学部を卒業後、耳鼻咽喉科専門医※1として、大分大学医学部附属病院や大分県立病院などの基幹病院に勤務し、頭頸部がん※2などの悪性疾患も含め、さまざまな耳鼻咽喉科領域疾患の検査・診断・手術を含む治療に研鑽を重ねてきました。
2006年には、健康保険南海病院(現JCHO南海医療センター)の耳鼻咽喉科部長の職を任され、年間110件以上の手術、220人以上の患者を主治医として受け持つという激務が続く中で、教授をはじめ医局の先生方のご理解をいただき、2007年6月に父の「首藤歯科クリニック」の2階に「首藤耳鼻咽喉科」を開業しました。
※1 日本耳鼻咽喉科学会耳鼻咽喉科専門医
※2 鼻・副鼻腔、口腔、咽頭・喉頭(のど)、唾液腺、甲状腺などにできるがんの総称
開業することは、当初から予定されていたのですか?
わが家は、曽祖父の代からこの滝尾地区で開業して、かれこれ100年以上も地域医療を守り続けてきています。それを絶やすわけにはいきませんし、私自身も医師・歯科医師として地域に貢献したいと考えておりましたので、たとえ診療科は違っても、いずれはこの地に根差した医療を提供していこうと決めていました。
また、がんなどの重篤な病気の患者さんを数多く診療する中で、「もっと早く、病気が軽いうちに見つけられれば」と思い知らされることも多くありました。「そういった重篤な病気をできるだけ早期に発見し、適切な高次医療に繋げたい」そして、「それは患者さんが気軽に来院しやすい地域のクリニックだからこそできることだ」と実感し、開業への意思がいっそう強まりました。