整形外科医として豊富な臨床経験を経て、戦後創設の歴史ある整形外科医院を継承
はじめに、石島先生が医師を志したきっかけを教えてください。

「石島整形外科医院」は、戦後間もない1949年に祖父が開業し、二代目院長の父へと受け継がれ、長年にわたり地域の患者さんを支えてきました。幼い頃から医療が常に身近にある環境で育ち、いつしか「自分も医師として地域に貢献したい」という想いが大きくなり、埼玉医科大学医学部に進学しました。
整形外科を専攻されたのは、やはりお祖父さまやお父さまの影響が大きかったのでしょうか?
そうですね。祖父や父が整形外科医だったことは、間違いなく大きな影響を与えています。ただ、それだけでなく、私自身の適性や興味も関係していました。もともと手先を使う作業が得意だったことに加え、医学を学ぶ中で救急医療に強く関心を抱くようになったのです。特に、繊細な処置が求められる外傷治療や、緊急時の対応に積極的に関わりたいという想いが強まり、それができる整形外科を選びました。
石島整形外科医院に入職されるまでのご経歴をお聞かせください。
医学部卒業後、2年間、埼玉医科大学病院で研修を行い、麻酔科、小児科、救急科をローテーションした後、整形外科の基礎をしっかりと学びました。特に、外傷や脊椎疾患、関節外科など、大学病院ならではの高度な症例を担当させていただき、医師としての第一歩を踏み出しました。
その後、関連病院の朝霞台中央病院(現・TMGあさか医療センター)に勤務。一般外来から当直業務まで幅広く従事して、多くの外傷症例を担当したほか、細かい神経の手術にも携わるなど、より実践的な治療技術を磨くことができました。
次に勤務した坂戸中央病院では、特に高齢の患者さんが多く、骨粗鬆症の治療や頸部骨折、高齢者特有の骨折といった症例に数多く関わりました。加齢による骨の脆弱性を考慮した治療が求められるため、整形外科医としての視点をさらに広げることができたと自負しております。
医師7年目に大学の医局へ戻り、日本整形外科学会認定専門医を取得。その後、医局を退局し、水戸済生会総合病院に勤務しました。ここでは外傷や関節疾患を中心に診療を行い、豊富な症例を経験しました。この頃から、週に1回実家の「石島整形外科医院」の外来を手伝い始め、地域医療に関わる機会を増やしていきました。そして、数年間の勤務を経て水戸済生会総合病院を退職し、石島整形外科医院の院長職に就き、現在に至ります。
「石島整形外科医院」を継承することは、医師になった当初から考えていらしたのでしょうか?
そうですね。家族が築いてきた基盤があり、それを引き継ぐことは自然な流れだと考えていました。ただ、実際にさまざまな医療現場で経験を積む中で、地域医療の現状に対してより具体的な課題意識を持つようになり、その課題を「石島整形外科医院」で解決していきたいと考えたことも大きな理由です。
特に感じたのは、この地域の高齢者の多さと、それに伴う骨粗鬆症治療の遅れです。骨粗鬆症は、単に骨がもろくなる疾患ではなく、骨折による寝たきりを引き起こし、生活の質を大きく低下させる可能性がある疾患ですが、骨粗鬆症の患者さんの多くは、適切な治療を受けられていない現状がありました。勤務医時代、私はこの分野に関心を持ち、専門的な知識を深めるとともに、多くの症例に携わることで経験を積んできました。その知識と経験を活かし、当院でも積極的に骨粗鬆症の予防や治療に取り組んでいきたいと考えたのです。
また、医療だけでなく、介護の分野においても地域のニーズを強く感じていました。特に、介護保険を活用したリハビリテーションの重要性が高まっていると考え、「石島整形外科医院」でもデイケアを新設。高齢者のリハビリ支援を充実させることで、単に治療を提供するだけでなく、その後の生活の質を向上させることにも注力しています。

