父に憧れ医師になった内科・外科のエキスパートが、「なんでも診る」ホームドクターに。兄とともに地域医療を守り続ける
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

物心ついた頃には、すでに脳神経外科医だった父がこの地で淀縄医院を開業しており、医療は私にとってごく身近な存在でした。父はいつも忙しくしていて、触れ合えるのは、たまに医院に遊びに行ったときくらい。でも、そんな父の働く姿がとても格好よく見えたんです。患者さんから感謝される父の姿を誇らしく感じ、「自分もこんなふうになりたい」と自然と思うようになりました。
もちろん、医師という職業が簡単になれるものではないことも幼いながらに理解していましたので、中学生の頃には本格的に医師を目指す準備を始めました。そして、その思いはぶれることなく、初志を貫いて今に至ります。
貴院に入職されるまでのご経歴を教えてください。
群馬大学医学部を卒業後、同大学病院の第一内科・呼吸器専門グループに所属しました。実は学生時代、当初は外科系を志していて、スポーツが好きだったこともあり整形外科に進もうかと考えていたんです。
ところが当時は現在のような研修制度がなく、各診療科が医学生を対象に“勧誘の会”のようなものを開催していまして、部活動の先輩に声をかけられたご縁で、第一内科・呼吸器専門グループに入ることになりました。もともと内科志望ではなかったので、正直なところ、半ば成り行きといいますか、勢いのようなものでした(笑)。
とはいえ、振り返ってみると、この第一内科での4年間の経験が、今の自分の診療の土台になっていると感じています。アレルギーを専門に、気管支喘息などの研究にも取り組みましたし、呼吸器だけでなく、心臓や消化器など内科全般を幅広く学ぶことができました。非常に実り多い、貴重な時間だったと思っています。
淀繩副院長は、内科医から外科医に転身されていますが、どのような理由があったのでしょうか?
直接のきっかけは、第一内科に誘ってくださった先輩が退職されたことでした。そのタイミングで自分の進路をあらためて見つめ直し、医学生の頃に目指していた外科医の道に進もうと決めました。キャリアチェンジするなら、今が最後のチャンスかもしれないと感じたんです。当時は、胸部外科医として肺がん治療に携わりたいという強い思いもありましたので、地元の茨城に戻り、筑波大学附属病院の呼吸器外科グループに入局しました。
呼吸器外科の研修を始めるにあたっては、まず筑波記念病院で2年間、一般外科の研修を行いました。それまで縫合処置ひとつ満足にできなかった私にとって、この2年間は先輩方のご指導のもと、外科の基礎を徹底的に学ばせていただいた大切な時間でした。多くの手術経験を積むことができ、再スタートを切るにはこれ以上ないほど充実した研修期間だったと感じています。実は、その病院で妻と出会ったのも、この時期の思い出の一つです(笑)。
筑波大学附属病院では、主にどのような疾患を診療されてきたのですか?

筑波大学附属病院ではレジデントとして主に肺がんや縦隔腫瘍、転移性肺腫瘍などの外科治療に携わっていました。手術だけでなく、肺や気管支の内視鏡検査、がん患者さんへの化学療法などにも関わり、呼吸器疾患に対する多角的なアプローチを学びました。
その後は、大学の関連病院である茨城西南医療センター病院に勤務し、肺がんに加えて、乳がんや消化器系がんの診療も担当しました。あわせて、救急患者の初期対応や処置、緊急手術にも多く関わり、より実践的な臨床経験を積むことができました。
2年間の勤務を経て再び筑波大学附属病院に戻った後は、呼吸器外科チーフレジデントとして手術を担当すると共に後輩の指導にもあたり、学位論文にも取り組む日々でした。レジデント修了後は、呼吸器外科にとどまらず、より幅広い外科診療に携わりたいという思いから茨城西南医療センター病院に戻り、がんに対する胸腔鏡手術や腹腔鏡手術などの導入、救命救急センターでの業務、学会発表、論文執筆、研修医への指導、外科部長や医局長としての管理職業務など15年間休みなく勤務しました。
大学病院や基幹病院で、内科から外科まで幅広く活躍されてきた淀縄先生が、開業医に転身された理由を教えてください。
勤務医としての年月が長くなるにつれ、診療だけでなく、管理職としての業務も増えていき、次第に多忙を極めるようになりました。そんなとき、妻から「ちょっと忙しすぎるんじゃない?」と一言、釘を刺されたんです。50歳という年齢も重なりその言葉をきっかけに、自分の働き方を見直すべき時期が来ているのかもしれない、と考えるようになりました。
ちょうどその頃、父の医院を継いでいた兄から「一緒に医院を運営しないか」と声をかけられました。そのタイミングが本当に絶妙で、「開業医として新たな一歩を踏み出すなら、まだ体力も気力も充実している今しかない、そして自分の働く姿を父にもそばで見てもらいたい」と思い、2013年に西南医療センター病院を退職、実家の淀縄医院に入職し、副院長に就任しました。現在は、兄と私が常勤医として、外科、内科、消化器内科、乳腺外科、肛門外科、呼吸器内科、脳神経外科と、幅広い診療科目に対応しています。
