急性期病院で辣腕を振るってきた外科医が開業医に転身。オールマイティーな診療で、長年にわたり地域医療に貢献
はじめに、小野先生が医師を志したきっかけと、外科を専門とされた理由をお聞かせください。

私の両親は教師をしており、医療とは無縁の環境で育ちましたが、進路に悩んでいたときに親から「医師になれ」と背中を押されたことがきっかけでした。幼い頃から勉強が得意で、小学校・中学校と学年トップの成績だったこともあり、親も私の将来に大きな期待を寄せていたのだと思います。医師という職業は、人の役に立つ仕事でもありますし、親の勧めに迷うことなく、「それなら目指してみよう」と前向きに考えることができました。
外科を選んだのは、学生時代から「医師といえば外科医」という漠然としたイメージを持っていたからです。実際に外科の世界は、高い技術力が求められ、失敗が許されないプレッシャーも大きい分野です。しかし、手術を通して直接患者さんを治療し、命を救うことができるということに、他の診療科にはない大きなやりがいを感じました。
開業されるまでのご経歴を教えてください。
防衛医科大学校医学部を卒業後、同大学校病院の第一外科に入局しました。臨床研修を経て、防衛医科大学校病院で約8年間、さらに茨城県立中央病院がんセンターで約5年間、外科医として研鑽を重ねた後、石本病院に勤務し、地域医療にも従事してきました。外科医は当時から激務で、大学病院や県立がんセンターでは、朝から晩まで手術の日々でした。第一外科は消化器外科が専門ですので、胃がん、大腸がん、肝臓がん、膵臓がんといった消化器系のがん手術を中心に担当していましたが、執刀医が不足していたこともあり、肺がんや乳がんなど他科の手術サポートも行い、幅広い臓器のがん手術に携わりました。
特に印象に残っているのは、防衛医大卒業後に赴任した自衛隊札幌病院での経験です。当時、産科医が不足していたため、帝王切開手術を執刀したこともありました。心臓以外のほとんどの外科手術に関わってきた実感があり、これらの経験を通じて、技術力だけでなく、柔軟な対応力や広い視野も養うことができたと自負しております。
県立がんセンターでは外科医長、石本病院では副院長の要職を務めていた小野先生が、開業を決めたのにはどのような理由があったのでしょうか?
もともと、石本病院には地域医療を学ぶことを目的に入職しました。実は、県立がんセンターを退職する際には、すでに自分で病院を開業するという夢を持っていたんです。ありがたいことに、祖父が栃木県に開業用の用地を確保してくれていたことも、背中を押してくれました。石本病院では、外科手術はもちろんのこと、内科全般や皮膚科、脳神経外科まで、幅広い診療科目に携わり、地域のプライマリ・ケア(初期診療)医として、総合的な診療スキルを磨くことができました。
最終的に、時代の流れや基幹病院との連携などの事情もあり、2002年に現在の場所でのクリニック開業を決断しました。当初から、地域の皆様により高度な医療を提供したいという思いが強く、開業時から高性能のCT検査機器を導入したり、救急医療に対応したりと、病院並みの診療内容を目指して地域医療に邁進してきております。
すでに20数年、地域医療を担ってこられたわけですね。
そうですね、気づけば20年以上、地域の皆様の健康を支えてきました。私自身も年齢を重ねる中で、ここ数年は救急医療や小児医療については、その分野の専門の医療機関にお任せしています。代わりに、内科全般、皮膚科、外科、そして胃・大腸の内視鏡検査といった、特に私の専門性や経験を活かせる分野に注力して、医療の質を落とさないように努めています。
