大学病院やがんセンターでがん治療・研究に従事。培った経験を地域医療に活かしたいとの想いから開業医へ
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

両親の勧めもあり、将来に役立つ確かな技術を身につけたいと考え、医学の道を志して勉強していました。私が高校生のときに父が胃がんを患い、亡くなりました。目の前で病と闘う父の姿を見守るなかで、医療の重要性を痛感し、医師になる決意を固めました。
なかでも、身近に遭遇したがん治療に携わりたいという思いが強くなり、とりわけ治療が難しいとされる消化器がんに取り組みたいと考えるようになりました。その志を胸に、千葉大学医学部に進学、卒業後は消化器疾患の治療を専門とする第一内科に入局しました。
以来、大学病院などの医療機関で勤務医として医業に邁進されました。この間、診てこられた疾患について教えていただけますか?
大学卒業後、関連病院である沼津市立病院での内科勤務を経て、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)東病院にて、難治性の消化器がんの診療・研究に従事しました。同院は当時も今も日本において最も先端的ながん治療の拠点であり、そこで消化器がん、特に肝臓がん・胆道がん・膵臓がんの診療に携わりました。抗がん剤治療をはじめ、胆汁を排出し黄疸を改善する減黄術、腫瘍に電極針を挿入し熱で壊死させるラジオ波焼灼療法など、さまざまながん治療の経験を積むことができました。
その後、杏林大学の腫瘍内科に移り、消化器がんを含めてがん全般の診療を担当しました。がんは一つとして同じケースはなく、患者さんごとに病状や治療の選択肢は異なります。合併症を抱えている方、ご家庭の事情で通院や入院が難しい方など、それぞれに異なる課題があります。
そうした医療現場では、医師が最善と考える治療を一方的に押し付けるのではなく、患者さんの体の状態や生活環境を十分に考慮し、関連診療科と連携しながら、納得できる治療を提案することが何より大切です。多くの患者さんと向き合う日々を通じて、その重要性を痛感しました。そして、その思いを実践するために、多様な臨床経験を重ね、がん治療の研鑽に励んできました。
また、がん治療一般を行うとがん以外の病気を抱えて闘病されている患者さんがたくさんいらっしゃることがわかりました。抗がん剤による治療を行いつつ、合併している他の病気に対する治療も一生懸命行いました。
杏林大学在籍中には、千葉大学大学院にも進学されています。
がんの診療に携わるなかで、新たな治療法を自らの手で開発したいという思いが強まり、千葉大学大学院に進学。がんの幹細胞をターゲットとした治療法の研究に取り組み、医学博士の学位を取得しました。その後、千葉大学に戻り、消化器がんの治療や抗がん剤の研究に従事しながら、より効果的な治療法の確立を目指して取り組んできました。
さらに、2019年にはイギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に留学し、世界最先端のがん治療の現場で、臨床と研究に携わる貴重な経験を積んでまいりました。
そして2021年に笠原中央クリニックに入職、2024年4月に院長に就任されました。どのような想いから継承を決心されたのでしょうか?
がん治療を行っていると、糖尿病をはじめとする生活習慣が関与した病気を合併している患者さんの数が驚くほど多いことに気づきました。妻が糖尿病専門医であることから、その重要性は日々の会話から認識していました。地域のクリニックは、住民の皆さんが最初に医療に接する場であり、医師として幅広い患者さんを診る役割を担っています。大学病院やがんセンターで先端医療に携わることも大きなやりがいがありましたが、これまで積み重ねてきた経験や知識、技術をこれからどのように活かしていくべきか考えたとき、私は地域のクリニックで患者さんに直接役立てたい、培ってきた技術を地域の患者さんに直接“還元”したいと思うようになったのです。
笠原中央クリニックは、私の妻の父が1995年に開業し、30年にわたり地域医療に貢献してきた大切な場所です。その地域医療のバトンを受け継ぎ、前院長(現・理事長)である義父とともに、より良い医療の提供に努め、地域の皆さんの健康を支えることに大きなやりがいと使命を感じ、継承を決意しました。

