「父への憧れ」から医師に。患者中心の医療を実践してきた父親の後継者として、地域密着型病院を運営
はじめに、豊田先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
私の祖父と父が医師で、戦地から帰還後に祖父が診療所を開き、1981年に、父が当院をこの場所に移転開業しました。私が医師を目指したのは「父に憧れたから」というのが端的な理由なのですが、何の迷いもなく医師になったわけではありません。
実は、小学5年生の頃、なぜ医師を志すのか自問することがあり、父に頼んで当院や近隣の病院を見学させてもらったことがあります。まだ子どもでしたので、難しいことはわからなかったものの、父は、今で言う“オーダーメイド診療”を実践していました。患者さん一人ひとりにていねいに寄り添う父の姿と、ニコニコと笑顔で父に感謝の気持ちを伝える患者さんの様子を間近で見たときに、やはり、父のような医師になろうと覚悟が決まりました。
貴院を継承されるまでのご経歴を教えてください。
福岡大学医学部を卒業し、山口県の岩国医療センターで初期研修を修了後、岡山大学病院の第二内科に入局。後期研修を岩国医療センターの循環器内科と呼吸器内科、岡山赤十字病院の呼吸器内科で受けた後、岡山大学病院で勤務医として従事しました。同大学の第二内科は、血液・腫瘍・呼吸器・アレルギー内科を領域として、長い伝統があり、現在1,100人以上の医師が在籍する日本でも有数の総合内科学教室です。実は、私の祖父も父も同医局の出身でしたので、私も後を追うかたちで、呼吸器内科を中心に研鑽を積んでまいりました。
具体的に、どのような診療に携わってこられたのでしょうか?
当院を継承するまで、大学病院や岡山赤十字病院、福山医療センターなどの基幹病院に勤務し、肺がんや間質性肺疾患、重症の気管支ぜんそくなど呼吸器内科の疾患を中心に、腫瘍やアレルギー疾患の診療に携わってきました。そのほか、他診療科からの相談を受けて、途中から抗がん剤治療を引き継ぐといった連携診療についても経験を積んでいます。
また、岡山大学病院では集中治療室も担当し、入院中の患者さんの急変や救急搬送されてきた患者さんに対して、内科系に限らず、重症患者さんの全身管理やケアに携わり、その経験は現在の診療にも活かされています。
その後、2017年に貴院を継承されていますが、なにかきっかけがあったのでしょうか?
父への憧れから医師になりましたので、いずれは病院を継いで、父のように地域医療を担っていくつもりでいました。ただ、時期については漠然としていたところ、2017年に父が体調を崩し、残念ながらその年の6月に他界してしまいました。急遽、当時勤務していた福山医療センターを退職、当院を継承し今に至ります。
院長を継承されてから、どのようなことに力を入れてこられましたか?
先ほど、少しお話ししましたが、父は、患者さんお一人おひとりに対して、家族構成や生活環境などの社会的な背景も考慮し、入院やリハビリを含む病院医療と在宅医療を組み合わせたオーダーメイドの診療を行ってきました。そのように父が尽力してきた医療サービスの質を落とすことなく、さらに地域の方々の医療ニーズにお応えしていくことに力を注いでいます。
新型コロナが流行した際には、すぐに空いていた一部屋にベッドや点滴、酸素療法用装置などを導入して感染症患者専用の診察室を新設、正面玄関とは別の入り口も設けて対応しました。新型コロナ患者さんを、かなり早い段階で受け容れることができ、近隣病院とも連携しながら難局を乗り切れたのではないかと自負しております。