妹のやけどを治療した伯父の姿にあこがれ、医師の道へ。形成外科専門医として研鑽を重ね開業
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
私が高校生のとき、妹が足をやけどしたことがありました。妹はひどく泣いていて、私も痕が残るのではないかと心配していましたが、整形外科医の伯父が「大丈夫、すぐよくなるからね」と声をかけると妹は落ち着き、治療を受けて数週間後には足がきれいに治りました。その様子を見て、人を安心させて未来を明るくすることができる医師という仕事に憧れを抱いたのが大きなきっかけです。
広島大学医学部に進学され、卒業後は東京女子医科大学の形成外科に入局されました。どういった理由から形成外科を選ばれたのですか?
もともと自分の手で治したいという思いから、外科系を志望していました。外科系には身体の内部を治す消化器外科などもありますが、私は身体の表面を治療する分野に進みたいと考えました。そして大学で学ぶなかで、体表面の外科的疾患を対象として幅広い症例に対応する形成外科で、先天性疾患や身体の表面にお悩みをもつ方を治療することが患者さんの未来を開くというやりがいを感じ、形成外科を選びました。
当時の広島大学には形成外科がなく、たまたま東京女子医科大学で形成外科医を務めた先輩医師が広島で開業されたことなども後押しとなって、上京しました。
大学病院では主にどのような疾患を診ていたのでしょうか?
けがややけど、切り傷などの外傷が多く、切断した指の再接着、交通事故による顔面骨骨折なども担当しました。東京女子医科大学の形成外科は、当時からやけどの治療に力を入れており、日本初の熱傷治療専門施設も備えていたことから重症熱傷の患者さんの搬送も相次ぎ、その治療も行っていました。
また、先天性の形態異常で、唇が割れたり口腔と鼻腔がつながっている唇顎口蓋烈(しんがくこうがいれつ)、耳の形が不完全で小さい小耳症などの治療も経験しました。小耳症の治療は、患者さん自身の肋軟骨を材料として耳の形をつくり、側頭部の皮膚の下に埋め込むという、形成外科のなかでも難易度の高いものですが、先輩医師の手術に立ち合ったとき、私は「この技術は悩める子どもたちの未来を明るく照らすすばらしいものだ」と感銘を受けました。以来、私自身も小耳症の手術に携わるようになり、その技術をさらに高めるべく、2000年から2年ほどアメリカのハーバード大学医学部と連携しているマサチューセッツ総合病院に留学しました。
そして2009年に船橋ゆーかりクリニックを開業されました。開業を決心された想いをお聞かせいただけますか?
留学から帰国したあとは、国立病院機構災害医療センターや東京女子医科大学八千代医療センターの形成外科で、勤務医として臨床に携わりました。忙しくも充実した日々でしたが、勉強する時間が少なかったり、自分が思うような治療方針をとれなかったりして、もどかしさを感じるようになりました。
そんなとき、父が進行胃がんで亡くなり、ほかの医療分野や食事療法に関してもっと知りたくなったことや、「培ってきた技術や知見を活かして多くの方の健康を守り、その未来を明るくするような医療を提供したい」という想いが日に日に強くなり、開業を決意しました。