患者さんの人生に寄り添い、「医療の隙間」を埋めるためのクリニックを開業
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
子どもの頃から、「医龍」とか「JIN -仁-」といった医療ドラマや「ブラック・ジャック」などの医療マンガが好きで、「人を助けることができる医師ってすごく格好いいなあ」と憧れていました。高校3年生で進路を決めるときに、ドラマやマンガの医師のように、「人の助けになることがしたい」という子どもの頃からの思いを叶えようと、医師になることを決めました。
呼吸器外科を専攻されたのは、どのような理由からですか?
医療ドラマやマンガの影響もあってか、医師になるからには、手術によって自分の手で命を助ける外科医になりたい、そして、がんの診療に携わりたいと思っていました。がん患者さんは、手術や抗がん剤治療などによって治癒する人もいれば、再発・転移して末期に至り、緩和ケアやターミナルケア(終末期医療)を必要とする人もいます。命に関わる病気を抱え、しんどい思いをしている患者さんの人生に寄り添っていく医師になるという目標がありました。
外科の中でも呼吸器外科を専攻したのは、肺の病気には、肺がんのように命に関わるシビアなもの、喘息やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)のように治りにくいものも多いなかで、治療が難しい病気にあえてチャレンジしていきたかったからです。
医院を継承するまでのご経歴を教えてください。
鳥取大学医学部を卒業後、自治医科大学付属さいたま医療センターの呼吸器外科で初期研修を受け、その後は、自治医科大学付属病院の呼吸器外科で、肺がんを中心に肺の病気全般の診療に従事し、研鑽を積みました。私が31歳のときに助教の役職を任せていただき、36歳のときには自治医科大学さいたま医療センター呼吸器外科の副診療科長として、日々の診療のほか、研究や後輩の指導・育成にもあたっていました。
そのまま上のポストを目指すという道もあったのですが、一日の大半を研究や後輩の指導に追われ、わずかな時間しか患者さんの診療に当たれない毎日を過ごすうちに、私が理想とする医療を提供していきたいと考えるようになり、ご縁のあった医院の継承を決意しました。
2022年1月に医院を継承されたそうですね。そこには先生のどんな想いがあったのでしょうか?
約12年間の大学病院勤務で感じてきた「医療の隙間」を埋めたいと考えたのが、開業医となった大きな理由です。たとえば、がん患者さんに対して大学病院などの基幹病院では、科学的根拠のある積極的な治療の手立てが無くなってしまうと、治療の終了を告げて在宅療養や緩和ケア施設への転院などを促します。
しかし、現実には、そう簡単に療養の場を得ることができずに、いわゆる「がん難民」になってしまう方も多くいらっしゃいます。医療機能には役割分担があるので致し方ないとはいえ、このような医療の隙間でつらい思いをしている患者さんの手助けになりたいと想い、前身の「芝内科医院」を新たに「しばファミリークリニック」と名称を変えて開業しました。