救急医として内科・外科を問わず診療技術を磨き医療に邁進。身近な場で患者を支えたいとの想いから医院を継承
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

私の祖父が開業し、父が引き継いできたこのクリニックは、私で三代目となります。幼い頃から医師という職業が身近にあり、自然とその影響を受けて育ちました。もちろん、子どもの頃は他の職業に興味を持った時期もありましたが、進路を考える中でやはり医師として歩む道を選び、近畿大学医学部に進学しました。
ご卒業後は同学の附属病院(現・近畿大学病院)での初期研修、市立岸和田市民病院・血液内科での後期研修を経て、救急医の道を選ばれました。どのような理由からこの選択をなさったのでしょうか?
救急医療の現場では、一分一秒を争う状況の中で、患者さんの状態を即座に見極め、迅速かつ的確な判断と処置が求められます。常に緊張感が漂う環境ではありますが、そのぶん、命を預かる責任の重さと向き合いながら、大きなやりがいを感じられる分野でもあります。
初期研修のなかでさまざまな診療科を経験するうちに、このスピード感や現場のダイナミズムに強く魅了され、自然と救急医療に惹かれていきました。とはいえ、救急の現場では、あらゆる疾患や緊急事態に対応できる、総合的な医学的知識と臨床判断力が欠かせません。そうした力をしっかりと身につけるため、後期研修ではあえて血液内科を選び、内科領域における専門的な知識と診療技術を深く学ぶことに注力しました。
先生は関西医科大学附属枚方病院(現・関西医科大学附属病院)をはじめ、大阪・京都の救急医療機関で、救急科専門医としてご活躍されました。
日本の救急医療体制は、患者さんの重症度や緊急度に応じて、一次(初期)救急、二次救急、三次救急の三段階に区分されています。一次救急は比較的軽症の患者さんへの対応、二次救急は入院や手術を要する中等症〜重症例、そして三次救急では、集中治療や高度な救命処置が必要な重篤患者に対応します。
私は救急科専門医として、これらすべてのステージにわたる救急医療に携わってきました。現場では、限られた情報と時間の中で患者さんの状態を的確に見極め、バイタルサインの確認、心電図、血液検査、画像診断などを迅速に実施。必要に応じて各診療科と連携しながら、適切な治療へとつなげる役割を担ってきました。
救急では、意識を失っている患者さんが運ばれてくることも珍しくなく、会話が可能であっても、症状や既往歴を正確に伝えられない方も少なくありません。さらに、内科系疾患から外傷、外科的急性疾患まで、幅広い病態に対応しなければならず、常に高い判断力と柔軟な対応力が求められます。こうした臨床経験を通じて、私は多様な症状の背後にある原因を迅速かつ的確に見抜く力を磨いてきました。そして現在は、その力を土台に、より総合的かつ横断的な視点で診療にあたっています。救急で培った知識と判断力は、今の私の診療スタイルの礎となっています。
そして2021年、「清水医院」を継承されました。その背景には、どのような想いがあったのでしょうか?
救急の診療にあたる中で、「もしもっと早い段階で、地域のかかりつけ医のもとで適切な治療を受けられていれば、ここまで悪化せずにすんだのではないか」と感じる場面に何度も直面してきました。また、つらい症状があるにもかかわらず、「どの診療科を受診すればいいのか分からない」と迷った末に受診が遅れてしまったり、地域のクリニックを受診しても「専門外なので診られません」と断られ、結果的に救急医療を頼らざるを得なかったという患者さんにも多く出会いました。
もちろん、患者さんそれぞれに事情があり、地域の医療機関にも限界があります。ただ、もう少し身近な医療の場で、柔軟かつ丁寧な対応ができていたなら、もっと多くの方の健康を守れたのではないか──そんな思いが、次第に自分の中で大きくなっていきました。
当初、私は救急医としての仕事に大きなやりがいを感じており、当院を継ぐという選択肢はまったく考えていませんでした。しかし、「自分自身の手で、地域に根ざした医療を届けたい」「診療科の垣根をこえて、困っている方の力になりたい」という思いが強まり、最終的に継承を決意しました。

