「患者を断らない」を信条に、内科・外科・救急を横断的に診療。濃厚かつ豊富な診療経験を基盤に病院並みの総合クリニックを開業
はじめに、石﨑先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
私は、子どもの頃から体が弱く、特に、花粉やハウスダストなどが原因のアレルギー症状が重かったのです。アレルギー治療のために14年もの間、大学病院に通院していたのですが、そんな生活を続ける中で医療を身近に感じるようになり「いずれは治療をする側になって、困っている患者さんを助けたい」と、医師の道に進むことを決めました。
石﨑先生は、幅広い科目で研鑽を積まれていらっしゃいますね。
医師になったときに、いずれは開業医となり、どんな症状も幅広く診療できる総合医(ゼネラリスト)になると決めていました。埼玉医科大学医学部を卒業後、まずは、手術が必要な疾患にも対応できるように、深谷赤十字病院で小児外科、消化器外科に在籍し、外科医としての研鑽を積みました。小児外科では、主に子どもの食道閉鎖や胆道閉鎖、鼠径ヘルニアなどの手術に加え、内科疾患も含めてさまざまな症例を診療し、消化器外科では、消化器がんの手術を中心に、腹腔鏡や胸腔鏡手術、消化器内視鏡検査にも携わり、外科専門医の資格を取得しました。その間、整形外科も手伝わせてもらい、骨折などの外科手術を含め、運動器の診療も経験しています。
その後、同病院の救命センター創設時に、さらに幅広く研鑽を積むために上司とともに異動し、事故による骨折などの外傷やガス爆発による重症熱傷、ICU(集中治療室)での人工心肺の管理など、重篤な患者さんの救命処置も含め、ありとあらゆる症例に携わり、知見を深めてきたと自負しております。
その後勤務された東埼玉総合病院では、救急センター長・救急部長を務められるなど、重責を担ってこられた石﨑先生が開業するに至った経緯をお聞かせください。
東埼玉総合病院では、救急センターの新規立ち上げから参画し、病院総合診療医の認定医資格を取得して、内科、外科、救急を横断的に診療してまいりました。また、新型コロナ感染症の流行に伴って感染制御部も兼任し、感染制御活動や感染症診療、感染症教育などにも携わってきました。
先ほどお話した通り、いずれは開業医になることを考えていましたが、このタイミングで開業に至った理由は、総合病院でさまざまな患者さんの診療にあたる中で、自分が理想とする医療と現状にギャップを感じることが多くなってきたことがあげられます。
私は、特に救急では、「患者さんを断らない」ということを信条としてきたのですが、主に重症者の専門的治療を行う中核病院では、入院が不要な軽症患者さんの受け入れは難しく、新型コロナ禍の追い打ちもあってお断りせざるを得ないことが少なくありませんでした。行き場を失ってしまう患者さんを目の当たりにし、そうした患者さんのお役に立てることはないかと考え、開業を決意しました。