40年間、100万人以上を診療してきた老舗医院に、後継者として消化器内科のエキスパートが副院長に就任
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください
私の家は、祖父母、父が大阪市内で開業医をしており、父の背中を見ながら育つ中で、漠然とですが「将来はぼくも医師になりたいな」と思っていました。でも、実は紆余曲折あって、一旦は別の職業に就いたんです。26歳のときに思うところがあり、やはり医師を目指そうと一念発起して、山梨大学医学部に入学しました。
河野副院長が消化器内科を専攻された理由と、副院長に就任するまでのご経歴を教えてください。
大学卒業後は、大阪市立大学(現・大阪公立大学)医学部で2年間研修を受けました。当初は、私の実父と同じ「リウマチ膠原病内科」を専門にしようかと考えていたのですが、研修2年目のときに消化器内科で内視鏡カメラを扱ってから、その性能や技術の虜になってしまったんです。早期胃癌の内視鏡手術(ESD)、胆膵内視鏡(ERCP)の手技なども学ぶうちに専門性を極めたくなり、同大学の消化器内科に入局しました。
研修後には、同大学医学部附属病院やその関連病院、国内留学で大阪国際がんセンターに勤務し、胃がんや大腸がん、咽頭がん、食道がん、大腸がん、十二指腸がんといった消化器がんすべての診断と内視鏡治療に携わってきました。その中で、非常に高い技術が求められるESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)も数多く経験してきましたし、大阪国際がんセンターでは、咽頭がんや喉頭がんを発見するための世界初のリアルタイム診断AIの研究開発にも携わりました。
一方で、いずれは開業医になるつもりでしたので、大阪国際がんセンターに勤務する前に勤めていた東住吉森本病院という地域中核病院での勤務も続け、救急患者への対応と、高血圧などの生活習慣病や風邪、アレルギーといった内科全般の診療についても臨床経験を積んできました。
先端医療にも携わってこられた河野先生が、いずみ医院に入職されたのは、どのような経緯があったのでしょうか?
勤務医時代は、とにかく忙しく、これまで家族と過ごす時間もほとんど持てずに来てしまったんです。そろそろ、少し時間にゆとりを持ちながら地域医療に貢献していきたいと考え始めていたときに、妻の実家のいずみ医院が代替わりを考えているというので、良い機会だなと思い、2023年7月から副院長として入職しました。
現在は、いずみ医院の診療に加えて、後進育成のために大阪公立大学医学部附属病院勤務や東住吉森本病院、私の実家のクリニックの診療も掛け持ちで続けておりますが、いずれは完全に引き継いで、開業医として地域医療を担っていきたいと考えています。