消化器内科疾患から日常的によく起こる病気まで、多くの患者のさまざまな悩みに対応したいと開業を決意
はじめに、先生が医師を志したきっかけからお聞かせください。
祖父も父親も内科の医師で、京都で開業医を営んでおり、幼い頃から医療が身近にある環境で育ちました。「家業を継ぐ」という感覚で医師になることは漠然と意識していましたが、私が中学生のときに父が急逝したことで、「父の意志を継ぐためにも医師を目指そう」と、決意はいっそう固いものになりました。
滋賀医科大学に進み、卒業後は京都大学の消化器内科学講座に入局しました。専門を消化器内科にしたのは、食道・胃・大腸・肝臓・膵臓など幅広い部位を診る診療科であること、そして、外から見えない部分を内視鏡で診て診断できることに興味を感じたからです。また、もともとがん診療を志していましたので、内視鏡でがんやポリープの早期発見、切除まで行うことができるのも魅力でした。
開院されるまでのご経歴を教えてください。
京都大学医学部附属病院での1年間の研修後に赴任した大津赤十字病院で「コモンディジーズ」と呼ばれる、発熱、咳、頭痛、腹痛といった日常的によく起こる症状について学び、内科医としての基礎を身につけました。同時に消化器疾患全般の診療や、内視鏡検査・治療に伴う手技の取得に励み、目指していたがん診療にも携わるなど、幅広く専門領域の経験を重ねました。
6年ほどキャリアを積んだ後、炎症性腸疾患の研究を目的に京都大学大学院医学研究科・消化器内科学講座に進学しました。炎症性腸疾患とは、消化管に慢性・再発性の炎症を引き起こす疾患で、具体的には潰瘍性大腸炎とクローン病などがあり、国の指定難病に定められています。症状としては下痢や腹痛、下血などの症状が慢性的に続きますが、現時点では明確な原因は不明で、完治させる治療法がなく、患者さんは毎日の生活と両立しながら生涯にわたり治療を続けていく必要があります。日本でも若い方を中心に患者数が増加していますが、患者さんが若ければ若いほど、学業や就職など人生設計に大きな影響を与える疾患です。患者さんが病気と上手に付き合っていくために医師として何が出来るかを考えながら、研究に臨床に研鑽を積む日々を送りました。
開業を決めたのは先生のどんな想いがあったのでしょうか?
大学院2年目の2005年から高島総合病院(現・高島市民病院)に非常勤医師として勤務を開始し、15年以上、忙しくも充実した日々を送っていました。そんな折、ちょうど父が亡くなった歳と同じ50歳という節目を迎え、ふと自分の医師人生を振り返ってみたんです。
私はそれまで、消化器内科医・内視鏡医として研鑽を積んできました。山で例えるならば、より専門性が必要な「高み」を目指してきたわけです。しかし、医師人生を振り返ったところ、多くの人が日常的に抱えているコモンディジーズという裾野が広がっていることに気づいたのです。例えば咳や腹痛といった症状でも、詳しく検査をしたら重大な病気が隠れていたというケースもあります。健康の基盤となる日常的な医療に目を向け、より多くの患者さんの悩みに応えていくタイミングではないかと思い、開業を決意しました。
高島市を選んだのは、医師人生の大半をここで過ごし愛着を感じていたのもありますが、高齢化が進む地域なので、生活習慣病などの慢性疾患を診る「かかりつけ医」の需要が高いと感じたのも理由のひとつです。