誰かの役に立ちたい。子ども心に夢見た「人の荷物も背負える大きな背中」その思いから医師の道へ
医師を志した理由を教えてください。
私の父が医師でしたので、その姿を幼い頃から見ていて「僕も誰かの役に立ちたい」と思っていました。また、子どもの頃に「神様はその人の背中に見合った荷物を与える」という話を聞いて、それならば、病気の人の抱える荷物まで背負えるような大きな背中になりたいと、夢見たことも一つのきっかけですね。
さまざまな診療科がある中で、免疫や内分泌系の分野に進まれたのはどうしでしょうか?
岡山大学医学部を卒業後、同大学病院の「第三内科に」入局しました。「第三内科」は、免疫・内分泌・糖尿病・腎臓を担当する科で、当時はまだ新しく、規模も小さかったと記憶しています。
ほとんどの研修医が、消化器系や循環器系、呼吸器系の「第一内科」「第二内科」に入局する一方で、「第三内科」に進む人は多くはありませんでした。「第三内科」が扱う免疫の分野は、当時、未知というか、まだよく知られていなかったからかもしれませんが、私自身はこちらのほうが自分に向いていると思ったんです。
開業されるまでの経緯をお聞かせください。
大学病院の派遣先として、当時は日本で唯一、入院設備の整ったリウマチの専門病院に勤務しました。実は当初、リウマチ疾患にはそれほど興味がなく、数年したら大学病院に戻るつもりでおりました。ただ、リウマチの症状で困っている多くの患者さんを診ているうちに、なんとか治してあげたいという気持ちが大きくなってきたんです。
その後は、「自分が患者さんにとって本当によいと思える医療を提供することで、リウマチを治したい」と、リウマチ疾患そのものやリウマチ患者さんに真摯に向き合うようになりました。しかし、大学病院や基幹病院では自分の思うような治療が提供できないことも多く、「リウマチで困っている多くの人の役に立ちたい」と、1991年に「わいわいクリニック」の前身「しのはら医院」を開業するに至ります。
最初からリウマチを専門にして開業されたのでしょうか?
いいえ、開業当時はリウマチ診療だけでなく、地域のかかりつけ医として風邪や腹痛、生活習慣病などの一般内科疾患や小児科にも対応していました。
リウマチ専門のクリニックと打ち出すようになったのは2003年頃でしょうか。その頃、自然治癒力や自己免疫力について執筆した「快癒力」を出版したのですが、この本が好評で、テレビなどのメディアで紹介されたんです。その影響が大きく、本を読んだりメディアを見たりしたリウマチに悩む方が、全国各地から来られるようになりました。リウマチ患者さんの割合が圧倒的に増えて、今では当クリニックに来られる患者さんのほとんどがリウマチで悩んでいらっしゃる方です。