祖父や父の背中を見て育ち、医師の道へ。外科や救急救命の最前線で研鑽を積んだ後「塩田病院」の副院長に就任
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
当院は1951年に祖父が創立した病院です。幼い頃から、祖父や2代目である父が、医師として地域に貢献している姿を見て育ちましたので、自然と「自分も同じように人の役に立つ医師になりたい」と考えるようになっていましたね。進路を決めるまでその思いは変わらず、愛知県にある藤田医科大学に進みました。
先生は外科を専攻されていますが、どのような症例を診てこられたのでしょうか。
藤田医科大学卒業後は、地元の広島に戻り、研修医として広島大学病院に勤務しました。外科を専攻にしたのは、研修医時代の小児外科での経験が大きいですね。小さなお子さんが外科手術によって回復し、健やかに成長していく様子が印象的で、「将来を担う子どもたちを一人でも多く助けたい」と思うようになったんです。
広島大学病院の第一外科に入局して、消化器疾患など一般的な外科手術の経験を積んだ後、県立広島病院の小児外科に移り、新生児から小児までのさまざまな病気の治療に携わってきました。中でも、食道が1本の管としてつながっていない「先天性食道閉鎖症」や、生まれつきの直腸や肛門の形成異常「鎖肛(さこう)」などの先天性疾患、「漏斗(ろと)胸」という胸骨が陥没しているお子さんなど、非常に稀な症例も多く経験しています。
当時としては先進的な医療に挑戦されていたのですね。
そうですね。今でこそ全国的に配備されていますが、20年ほど前はまだ数えるほどしかなかった「ドクターヘリ」での出動も経験しています。県北の山間部など、緊急性があり救急車では間に合わないと判断された場合に、そのエリアにヘリで飛び、初期治療を施しながら病院に搬送するのです。
機内はヘッドホンをしなければ会話ができないほどの爆音がしますし、白衣のような長い衣類も禁止されていて最初はかなり緊張しましたが、「迅速な医療介入で人を救う」という貴重な体験は、今の診療にも活かされていると感じています。
その後はどのような経験を積まれたのでしょうか?
自動車メーカーのマツダを経営母体とするマツダ病院の外科に所属し、胃がん・大腸がんなどの悪性腫瘍やヘルニア、肛門疾患、虫垂炎など消化器領域を中心に数多くの開腹手術をはじめ腹腔鏡を含む内視鏡手術にも携わってきました。
そしてその後、五日市記念病院に移ります。ここでは、脳疾患の患者さんを多く受け入れていたため、救急で来られた脳出血や脳梗塞、くも膜下出血などの患者さんの診療を通して中枢性の神経疾患についても知見を深めることができました。
その後は、塩田病院で勤務を始める傍ら、広島大学病院の第一外科に戻り、消化器系のがんの中でも難易度が高いとされている食道がんやすい臓がん、胆のうがんの外科治療に研鑽を積んできました。本格的に塩田病院に入職したのは2006年になります。