医療研究の最前線に身を置くも、幼少期に診てもらった医師への憧れに原点回帰。地元の高崎で開業
大井先生が医師を志したきっかけを教えてください。
小さい頃に風邪をひくたびに診てもらっていた、小児科の先生への憧れがきっかけですね。地元の高崎でも評判が高かった男の先生で、子ども相手の対応も丁寧で、とても優しい方でした。先生に会うだけで、すぐに症状が楽になる気がしたんです。
「先生みたいに、病気を治せる人ってすごい」という幼い憧れが、私の医師としての原点だったように思います。小学生のころにはもう「憧れの先生のような医師になる」という気持ちが固まっていましたね。
医師としてのご経歴をお聞かせください。
福井医科大学医学部を卒業後は地元に戻り、群馬大学医学部附属病院の第一内科に入局しました。
この第一内科は、今では病態制御内科と呼称が変わりましたが、国内でも屈指の歴史と実績を誇る医局です。医局内には専門ごとに複数のグループがあり、私が入局した当時も消化器・肝臓疾患と並んで内分泌・糖尿病疾患の臨床研究が盛んに行われていました。
すでに当時、糖尿病をはじめとする生活習慣病とそれに伴う合併症のリスクが、日本人の健康上の脅威となり、いずれ日本社会の大問題となることが予測されていました。「より多くの患者さんの役に立ちたい」と、私は糖尿病専門医を志し、糖尿病・内分泌疾患の診療にも数多く携われる第一内科で研修医生活をスタートさせました。
当時からいずれは開業したいと考えていらしたのでしょうか?
いいえ、私は家族や親せきが医者という家系でもありませんし、当初は勤務医や研究医の道を考えていました。
研修医1年目は大学の医局内、2年目は栃木県にある足利赤十字病院に勤務し、内科の領域だけでなく心臓や脳、血管の病気など、さまざまな症例に携わることができました。研修医時代に経験したことは、開業した今でもとても役立っています。その後、群馬大学に戻り医局で勤務しながら、大学院で研究の道に進みました。
大学院では糖尿病についての研究をされたのでしょうか?
正確に言うと私の研究テーマは糖尿病そのものではありませんでした。脳や脳の中にある視床下部・下垂体と呼ばれる部位、その下垂体から分泌されるさまざまなホルモン、そしてそのホルモンなどと密接に関わる摂食中枢、などが主な研究テーマです。
このあたりは専門的で難しいので簡単に言ってしまうと「食欲と肥満」の研究ですね。肥満は糖尿病をはじめとする生活習慣病のリスク要因の中でも大きなものですから、そういう意味では糖尿病治療の研究とリンクしていたとも言えます。
大学院を卒業し、糖尿病専門医と医学博士を取得した後も研究にやり残した部分があり、大学で指導医として勤務する傍ら、区切りがつくまで研究を進めました。その間、幸いにも各学会から若手研究奨励賞などをいただき、2008年には上原記念生命科学財団のリサーチフェローシップとして、アメリカのシアトルに留学し2年間の研究生活を送っています。
医療研究でもすばらしい成果を残される一方で、開業の道を選ばれた先生の想いをお聞かせください。
留学後も群馬大学に戻って後進の指導にあたっていたのですが、そこでふと、冒頭でもお話しした「医師を志したきっかけ」に意識が戻ったんです。研究医としての生活も充実してはいましたが、幼少から夢見た「患者さんのそばにいられる優しい先生」こそ、私の思い描いていた医師の姿でした。
そこで、約10年間続いた研究中心の生活に別れを告げ、2012年にこの「花水木内科」を開業しました。この地を選んだのは、「培ってきた経験や知識を活かした診療で、地元の方の健康増進に役立ちたい」と考えたこともありますが、近隣に糖尿病専門医が少なく、困っている患者さんにニーズに応えたいと思ったことも理由の一つですね。